
──SDGsと共に、ESGという言葉をよく耳にするようになりました。ESG投資はなぜ重要なのか。世界の投資環境のどんな変化が背景にあるのでしょうか。
一方で、地球環境や開発において「サステナビリティ(持続可能性)」という概念が1980年代から登場し、1992年にリオで開かれた地球サミットをきっかけに、ビジネスの世界で広まるようになります。それが投資の世界でも言われるようになったきっかけは、2006年に国連が世界の投資業界に向けて提唱した、投資判断にもESG評価を取り込むべきだという考え方、「PRI(責任投資原則)」です。「UNEP FI(国連環境計画・金融イニシアティブ)」がこれを推進し、環境問題への対応や社会的配慮と投資における受託者責任は矛盾しないという法律事務所の報告書を示すことで投資の流れが⼤きく変わったのです。
こうしたなか2008年にリーマン・ショックが起きます。様々な原因があると思いますが、根本的には短期での利益追求、短期主義的な投資行動の結果であるとされています。この反省から、投資にしてもビジネスにしても、もっと長期の視点で考えるべきだという考え方が世の中に広がっていきます。
2015年9月には国連でSDGsが採択され、同年12月にはCOP21でパリ協定が採択されます。気候変動対策を第一として、他の環境問題への対応や社会的配慮を含めた目標が世界の共通課題となったのです。このこともまたESG投資を後押しする大きな流れになりました。
日本では、2015年9月にGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がPRIに署名したことが、ESG投資が脚光を集めるきっかけとなりました。2017年以降、GPIFはESG投資を本格化し、この言葉がメディアでも頻繁に聞かれるようになりました。
以前は「社会的責任投資(SRI)」という言葉もありましたが、これはポートフォリオの一部で社会に貢献するような投資をすれば、全体としては伝統的な利益至上主義であっても構わないという考え方でした。
しかし、近年はポートフォリオ全体にわたって、銘柄を選択するスクリーニングや、その後のモニタリング、投資先とのエンゲージメントを含む全てのプロセスにおいてESGの視点を貫くべきだという「ESGインテグレーション」の考え方が強くなっています。そうした投資行動を評価するためのツールとしてESGの様々な指標が使われるようになっています。
──企業の一般的な投資やそこから得られる収益は数字で把握できます。ただ、ESG投資においては何を評価基準にすればよいのでしょうか。
一つめの軸である組織マネジメントの側面では、組織としてのESGやサステナビリティに関する目標・方針・体制がどうなっているかなどが重要な指標になります。
二つめの軸、環境や社会へのパフォーマンスということでは、ビルが使用するエネルギー、温室効果ガス、水、廃棄物などを減らすことができているかが最も重要です。
また、ESGにおける「S」は「社会」のことですが、これを「ステークホルダー」の「S」と読み替えれば社会へのパフォーマンスはわかりやすくなります。従業員、テナント、サプライヤー、地域コミュニティなどのことになりますが、ビルオーナーにとってテナントは特に重要なステークホルダーです。ESGへの取り組みを自社だけでなく、テナントも巻き込んで推進しているかどうか。例えば、ビルオーナーとテナントが環境・社会的配慮で協力することを賃貸借契約に盛り込んで実践する「グリーンリース」などもわかりやすい指標の一つです。
──環境の部分の目標は定めやすいのですが、社会的配慮における目標設定は難しいですね。
また、環境配慮でも例えばCO2排出量削減を毎年何%に設定するのかというと、もう少し深い議論が必要です。パリ協定での目標は2度ではなく1.5度にする流れが強まっており、そうするとCO2の排出量を概ね2030年までに半減、2050年までにゼロにすることになりますから、この水準と整合した温室効果ガス排出削減目標をSBT(Science Based Targets)として定めることが重要になります。
──このようにESGの観点で評価されると、不動産の価値自体が変化すると思いますが、その価値評価のメカニズムをどのように理解すればよいですか。
管理費や修繕費などのコストは、ESG対応の物件ではたしかにイニシャルコストは多少高くなりますが、ランニングコストは下がります。これも投資価値に影響を与えます。さらに、投資利回りの判定では、そこにどれだけのリスクプレミアムが織り込まれているかをみることが重要になります。
世の中の環境規制が強化されると、環境対応をしていない物件の場合は、炭素税や罰金など余分なコストを支払わなければならなくなります。例えば東京都にはオフィスビル等のエネルギー需要側にCO2排出削減を義務づける制度があります。この制度では2020年度以降、さらに規制が厳しくなります。これまで削減義務の基準をクリアしていたビルも、それができなくなる可能性が出てきます。
海外でも不動産の環境対応がより厳しく求められるケースが増えています。ニューヨーク市では、大規模ビルは2030年までに40%(2005年比)のCO2排出量削減が義務化されました。この目標を実現するために、新築だけでなく、既存のビルに対しても排出上限を定めるキャップを設定、それが果たせない場合は罰金を課すということです。
こうしたリスク要因があらかじめ織り込まれていれば、結果的に環境性能の高い不動産はリスクが小さくなり、投資価値が向上することになります。
──不動産におけるESG投資の考え方はいまや世界中の流れ。日本の不動産会社やビルオーナーは、もっとそれに敏感にならなければなりませんね。
──新築ビルをESG投資の観点で建設するというのはよくわかりますが、既存ビルのオーナーがそのために改修をするということになると、また大変です。特に中小規模のオフィスビルやマンションの場合は深刻な悩みです。
また、グリーンビルディング促進のための自治体や国の補助金制度を活用できるケースもあります。東京都の場合、大規模事業所ではビルの運用にあたって、オーナーとテナントの間で省エネ協議会を設置することが義務づけられています。その協議会の場で、共通の目標を設定して、PDCAサイクルを回すことも大切になります。場合によっては、テナントが省エネを頑張ったらインセンティブをオーナーから返すというような運用も考えられます。
ビルの共用部への投資にソフト的な観点を入れることも重要です。例えば、入居するテナント同士が交流できるようなスペースを用意し、そこでプレゼンテーション大会のようなイベントを開催したり、そこに地域の人も呼び込む試みも例として挙げられます。
──中小規模のビルならではの難しさはありますが、ESG投資の流れはいずれ中小企業にもやってくる。グリーンリースやビルぐるみの省エネ活動という仕組みも含めて、ESG投資を未来への先行投資として認識することが欠かせませんね。
例えば、内階段で上下階をつなぎ、オフィス内のコミュニケーション頻度を高めると同時に歩く運動を促す工夫や、オフィスの随所にソファを置いてインフォーマルなコミュニケーションをとりやすくする仕掛けなどがあります。
世界のオフィス先進地、ニューヨーク、シリコンバレー、ロンドン、シドニーなどでは、こうした健康・快適性に配慮をしたビルでないと、もはや優秀な社員を雇用できない。採用しても引き抜かれるという事態が発生しています。つまり、オフィスの健康・快適性への投資は企業のサステナビリティを高める上でも必須のものとなっているのです。この流れは確実に日本にも来ています。三菱地所グループが本社移転にあたって、オフィスの健康・快適性を最大限重視したのもその例の一つでしょう。
環境性能評価以上に、健康・快適性の定量化は難しいものです。ただ、それをなんとか「見える化」しようと、「WELL※2」という指標がアメリカで生まれました。日本にも、「CASBEEウェルネスオフィス評価認証制度※3」が作られ、昨年の11月から先行認証の事例が出てきました。ESG投資をアピールするにあたっては、環境性能と同じかそれ以上に、健康と快適性についての働きかけを強めたほうがよいのではないか、というのが私の考えです。
今後は、ESG投資の進化形として「ポジティブ・インパクト投資」という概念も重要になってくると思います。ESG投資ではまず環境・社会に関する要素を投資判断に組み入れることにより、リスクを下げてリターンをあげようという考え方ですが、インパクト投資では、それらにとどまることなく、環境や社会に対するプラスの効果をもたらすことを当初から目的とし、それを計測可能な形で示していくものになります。日本でも先例が出始めていますが、環境面での省エネ・CO2排出削減に加え、社会面で入居者の健康・快適性に配慮したビルへの投資は、ポジティブ・インパクト投資として横展開しやすいでしょう。こうしたESGをめぐる動きは不動産業界において今後ますます顕著になるでしょう。その動向には当分目が離せません。
※1 ゼロ・エネルギー・ビル(ZEB)
日射遮蔽や自然エネルギーの利用、高断熱化、高効率化によって大幅な省エネルギーを実現した上で、太陽光発電等によってエネルギーを創り、年間に消費するエネルギー量が大幅に削減されている建物。日本では2030年までに新築建築物の平均でZEBの実現を目指すとする政策目標が掲げられている。
※2 WELL(WELL Building Standard)
入居者の健康や幸せな暮らしに焦点を当てた、建築やワークプレイスデザインの新たな評価基準。空気、水、光、フィットネスなど複数のコンセプトを通して、建物が人間に影響を与えるさまざまな機能を評価・測定・認証している。
※3 CASBEEウェルネスオフィス評価認証制度
オフィスの利用者が、健康で知的生産性向上を目指せるオフィスビルを評価するツール。オフィスワーカーの健康性・知的生産性を直接に評価するのではなく、あくまでそれを目指したハード・ソフト面での取り組み内容を評価する。一般財団法人建築環境・省エネルギー機構が実施している。

CSRデザイン環境投資顧問
代表取締役社長
堀江 隆一
日本興業銀行、メリルリンチ証券、ドイツ証券に合計22年間勤務。ドイツ証券では排出権取引、再生可能エネルギーファンドなどを含むストラクチャード・ファイナンス業務を統括した後、2010年にCSRデザイン環境投資顧問を設立。不動産・インフラストラクチャー投資運用へのESG組込みに係る助言業務と、環境不動産やサステナブル金融に関する公的な調査業務を行う。国土交通省「ESG投資の普及促進に向けた勉強会」座長、東京都「中小テナントビル低炭素パートナーシップ」座長などを歴任。「21世紀金融行動原則」環境不動産WG共同座長、「責任投資原則(PRI)」日本ネットワーク・アドバイザリーコミッティ委員、「国連環境計画金融イニシアティブ」不動産WG特別顧問などを兼務。東京大学法学部卒、カリフォルニア大学バークレー校MBA。
不動産に関する話題や知見を弊社スタッフが現場から解説する、リアルな現場。
vol.09では今必要とされるビル経営のポイントを特集しています。
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vol.26
未曾有のパンデミックで見えた
新たな危機管理
企業経営にとって対処すべき課題とリスク
(佐山 展生氏) -
vol.25
これからの不動産戦略に
欠かすことのできないESG
(堀江 隆一氏) -
vol.24
スペシャリストの智
CREカンファレンス2019-2020・レポート
躍進か衰退か
企業の成長力を考える
今後求められる企業経営と不動産戦略 -
vol.23
「好き嫌い」から始める競争戦略
成熟社会における企業価値とは何か
(楠木 建氏) -
vol.22
これからの成長戦略に向けた
企業の体質改善
(大工舎 宏氏) -
vol.21
経営者視点で見る令和時代のM&A
(岩口 敏史氏) -
vol.20
新時代の事業承継
進化のための受け継ぎ方
(田中 歩氏) -
vol.19
スペシャリストの智
CREカンファレンス2018-2019・レポート
今からの企業競争力を問う
拠点機能の変化と不動産戦略 -
vol.18
モノからコトへ
消費行動が変化するなか
企業価値と不動産はどうあるべきか
(ロバート・フェルドマン氏) -
vol.17
新世代型都市開発と
これからの企業オフィス戦略
(谷澤 淳一氏) -
vol.16
クリエイティブオフィス戦略で
新たなイノベーションを
働き方改革を「場」の視点から再構築
創造性を促すワークプレイスのススメ
(百嶋 徹氏) -
vol.15
スペシャリストの智
CREカンファレンス2017-2018・レポート
2018年成長する企業の資質とは。
企業体力強化に備える不動産戦略のポイント。 -
vol.14
変革の時代に日本企業の強みを生かす
CRE戦略を通した「稼ぐ力」の向上
今後10年の企業ビジョンとCRE戦略の重要性
(冨山 和彦氏) -
vol.13
企業価値向上のカギを握る
CREプロフェッショナルの社内育成
社内外の専門家のネットワークを最大限に活用する
(村木 信爾氏) -
vol.12
企業価値を高める
CRE戦略の一環としての
ワークプレイス改革
(齋藤 敦子氏) -
vol.11
中堅中小企業が今取り組むべきCRE戦略とは
不動産の棚卸しから、
事業継続、相続・承継問題まで
(平川 茂氏) -
vol.10
リノベーションによる耐震、省エネ、環境保全で
企業価値の向上
求められる多様なニーズに対応した
オフィスビルのリノベーション
(河向 昭氏) -
vol.09
スペシャリストの智
CREカンファレンス・レポート
クラウド化がもたらした加速する社会基盤。
今の企業価値を考える。 -
vol.08
企業価値向上のカギとなる
クラウド導入で進めるシステム改革
顧客のビジネス価値を高める企業姿勢
(保科 実氏) -
vol.07
クラウドを利用した動産管理と企業価値の向上
「e-Leasing」と「CRE@M」が目指すもの
(長谷川 善貴氏) -
vol.06
環境保全しながら
経済合理性のある土地活用を
(西村 実氏) -
vol.05
不動産を流動化させて経営の劇的な改善を
バイアウト投資市場からみた企業のCRE戦略
(南黒沢 晃氏) -
vol.04
現在において考えるべき
リスクマネジメントとCRE戦略
(渡部 弘之氏) -
vol.03
企業の成長に欠かせないM&A戦略。
CRE(企業不動産)の位置づけが重要に
(大山 敬義氏) -
vol.02
未来に向けたCRE戦略
外部の専門企業との連携が鍵に
(百嶋 徹氏) -
vol.01
不動産市況が好転した今年こそ
CRE戦略再スタートの元年に
(土岐 好隆氏)