日経産業新聞フォーラム スペシャリストの智
CREカンファレンス2019-2020・レポート

「日経産業新聞フォーラム スペシャリストの智<br>CREカンファレンス2019-2020・レポート」のアイキャッチ画像

目次

 今回で4回目を迎える新年の恒例イベント、「日経産業新聞フォーラム スペシャリストの智 CREカンファレンス」が今年も、1月16日、日経ホールで開催されました。2020年も企業を取り巻く国内外の経済・社会・政治の動きは早く、そこでは常にリスクとチャンスが背中合わせに存在しています。それを見極め、時代の動きをビジネスの成長に活かすことが不可欠です。カンファレンスでは基調講演に竹中平蔵氏、特別講演に楠木建氏を迎え、これからの企業の競争力の源泉とは何か、成長を達成するためのCRE戦略とは何かについて、貴重なヒントを得ることができました。

三菱地所リアルエステートサービスによるプレゼンテーションは、動画でもご覧いただけます。

プレゼンテーションムービー経営視点で見る不動産の活用方法

三菱地所リアルエステートサービス
企業不動産三部長 大塚 裕一

開催挨拶活況を呈する不動産市況
今こそ必要なCRE戦略

三菱地所リアルエステートサービス
代表取締役社長 湯浅 哲生

 企業価値の向上を主題に、各分野のスペシャリストの方々と貴重な時間を共有していただく「スペシャリストの智 CREカンファレンス」が、今年も開催となりました。令和の時代に入り、2020年はあらためて東京が世界から注目される年でもあります。昨今の不動産市況に目を向ければ、活発な状態が続いています。私たちはCRE戦略をサポートする立場にありますが、中長期的な視点での資産の有効活用、職場環境の改善や優秀な人材の確保を目的としたオフィス移転など、企業価値を高めるための投資が非常に積極的に行われていることを実感しています。昨年は都内の主要7区の平均空室率が年間を通して1パーセント台と低い水準での推移となりました。インバウンド需要も相まって全国的に都市部の地価は上昇を続け、大都市圏の期待利回りは過去最低水準を更新しています。ただ、日本経済はこの夏に大きなターニングポイントを迎えるかもしれません。秋以降の地価動向、投資動向がどのように推移していくのか、注目されている方も多いのではないでしょうか。本日ご登壇いただくスペシャリストの方々には、このような節目を躍進のチャンスにつなげる「企業の成長力」についてお話しいただきます。

湯浅哲生が語る

基調講演2020年の経済:企業の成長力とは

慶應義塾大学名誉教授/東洋大学教授
竹中 平蔵氏

成長を加速するためには
人と組織の変革が欠かせない

2020年の経済は「バック・トゥ・バック」
悪くはなるが大崩れはしない

 今年の景気は去年より良くなるか、悪くなるか。あえて強引な二択を経営者の方々に提示しますと、景気は陰るという見通しの方が多いようです。私は今年の経済の動向を一言でいうと「背中合わせ(バック・トゥ・バック)」という言葉がふさわしい一年になると考えています。
 マクロ経済のトレンドとしては残念ながら景気は少し陰ってくるでしょう。なぜなら景気というものは必ず循環するからです。さらに、いま米中の二大強国は保護主義的な経済政策を強めています。保護主義は経済の面でデメリットも多いといわれる政策です。米中摩擦、さらに中東情勢の混乱などの状況を併せて考えると、2020年の世界経済はトレンドとしては悪化の方向にあると言わざるをえません。
 しかしながら、昨年末にアメリカのエコノミストたちと話した時、彼らの見通しは私の予想よりはるかに楽観的でした。それは世界中で名目成長率が名目金利を上回っていることが背景にあります。名目金利は調達コスト、名目成長率は投資の利回りに匹敵しますから、調達コストより利回りのほうが高ければ、政府はさまざまな手を打つことができる。アメリカ経済に限れば、トランプ政権の大型減税策は功を奏し、彼らはそれを今年もさらに進めるつもりです。
 こうした状況を踏まえ、IMF(国際通貨基金)は2020年の世界経済の成長見込みを2019年よりも高い3.4%としています。また、日本政府も、2019年度の0.9%から、2020年度は1.4%と強気の見通しを立てています。
 2020年度の政府予算は、5兆円の補正予算を含めると約107兆円に達します。これはリーマンショック前の一般会計に比べると30%増です。たしかに気前のいい予算とは言えますが、それをしても金利は上がらないのです。
 全体的に経済動向は悪化の方向にあるけれども、それを食い止める政策が世界中で推し進められているので、その双方がバランスして、背中合わせ(バック・トゥ・バック)の状態だと見るのが正解だろうと思います。つまり、2020年の経済は悪くはなるが大崩れはしない、というべきでしょう。

平成の時代には何が起こり、何が変わったのか

 平成の30年間は日本の元号の中でも4番目に長いものでした。この時代に日本社会は大きく変化し、その延長線上に私たちの今があります。平成には何があったのか。それを私たちはどう引き継いでいるのか。それを踏まえて、次の時代に向かっていかなくてはならないのです。
 日本人の平均労働時間は平成の30年間で20%も減っています。ドイツや北欧よりはまだ長いものの韓国よりも短いし、製造業だけを見るとアメリカよりも短い。日本人は昔ほど長時間働かなくなってきました。
 家計の一般的な貯蓄率についてはどうでしょうか。平成の初期には先進工業国の中で最も高い貯蓄率を誇っていた日本が今はアメリカより低く、スペインと並び先進工業国の中では最も低い。この背景には高齢化があります。リタイアした人の貯蓄率はマイナスになり、この層が増えることで平均貯蓄率を押し下げているのです。長時間労働、高貯蓄率はかつての日本人の代名詞でした。しかし、平成の期間にこれが大きく様変わりしたのです。
 平成の30年間で、日本の人口はほとんど変化しなかったのですが、この間、アメリカは30%、イギリスは15%の伸びを示しています。理由は海外から移住してきた人やその子孫が増えているのです。グローバル競争が進むにつれ、人材の国際的な取り込み競争が進んだということでもあります。日本でも平成の最後に入管法の改正があって労働力移入の状況は変わる気配がありますが、日本だけが国際的な人材の取り込み競争に背を向けてきたのも平成時代の特徴と言えるのではないでしょうか。
 平成の初期になかったもののもう一つがデジタル経済です。AI(人口知能)とビッグデータも平成時代に発展した重要なテクノロジーです。オックスフォード大学のマイケル・オズボーン氏の予測によれば、いまある職業の47%はAIに取って替わられ、十数年後には消滅すると言われます。一方で、単純労働をコンピュータが代替することで、人間がクリエイティブな仕事に専念できるようになれば、生産性は向上するという見方もできます。2035年までに世界の生産性は40%、日本の生産性も3倍になるという試算もあり、AIとビッグデータの時代に誰が衰退するのか発展するのか。両方の可能性の中で私たちは生き抜かなければなりません。

竹中平蔵が語る

スーパーシティで遅れを取るな
第4次産業革命の果実をつかみ取れ

 過去5年の世界の株価の動向をみると、欧州も日本も上がってはいるというものの、ダントツに上昇率が高いのはアメリカ。60%も株価が上がっています。彼我の差の背景にあるのは、企業の投資行動の変化とそれを成長に結び付ける方法の違いです。
 日本企業の研究開発投資、設備投資、不動産投資はいまだ活発ですが、いくら新しい技術や機械を導入しても、それを使えるような人材が育っているのか、それを促すように企業の組織が変わってきたのかというと、まだ疑問が残ります。設備投資など有形の投資に伴って行われるべき無形の資産投資がアメリカでは活発だが、日本ではそうではないという現状があります。
 アメリカ企業が人材や組織を柔軟に変化させることができるのは、労働慣行の違いもありますが、やはり新しい会社が多いからでしょう。歴史のある古い会社は組織や人的資源を変えることがどうしても難しくなります。しかし、そうした制約を越えていかなければ、第4次産業革命の成果を取り入れることはできません。
 こうした現状を変えるための一つの方法が「スーパーシティ」です。AIとビッグデータを組み合わせて、キャッシュレス決済、自動運転、ドローン開発、遠隔医療などの最先端技術を一カ所で実現するスーパーシティは成長の起爆剤になると期待されています。すでに昨年の段階で「スーパーシティ構想の実現に向けた有識者懇談会」が最終報告を出し、法制化を待っているところです。ここに日本企業の技術、人材、組織力を投入することで、企業は技術革新の成果を自社の成長に取り込むことができるようになります。
 世界を見れば、アメリカの大手IT企業はカナダのトロントにスマートテクノロジーを投入した未来都市を作ろうとしています。中国、シンガポールやクアラルンプール、ドバイにも同様の計画があります。
 私はスマートテクノロジーでは日本の企業にも大きな潜在力があると考えています。例えば出入国時のパスポート管理に顔認証技術が導入されていますが、これを作っているのは日本のメーカー。その技術はニューヨークのJ・F・ケネディ空港にも導入されています。
 あるいは自動車の自動運転技術でも、日本には相当レベルのものがありますが、現状は規制の壁があってそれを十分に実験できていません。しかし、スーパーシティでは住民の合意を得て、新しい技術を試したり、それをマネジメントすることができるようになります。スーパーシティ実現に向けては国会での審議も重要ですが、その構想を引っ張っていく自治体の首長と企業のリーダーシップが重要な役割を果たすと、私は期待しています。

2020年を経済成長の起爆剤に

 2020年は間違いなく、日本経済にも大きな弾みになるものです。1964年の東京でも、新幹線が開通し、都心にいくつもの大型ホテルが建設されたということがありました。今の東京の形は1964年に作られたものといっても言いすぎではないのです。今年作られた施設やインフラを、その後も活用できる優良なレガシーとしていかに残せるかが重要です。
 ただ、その後の経済には負の側面がクローズアップされることもあります。2004年のアテネはギリシャの財政赤字を残しました。これをみた2012年のロンドンは、ヒースロー空港を整備しました。空港は優良なレガシーとなって残り、いまやヒースローは世界の340都市とつながっています。かたや日本の空港は、羽田と成田を合わせても130都市にすぎません。
 ロンドンは食事の質が高くないことで有名でしたが、高級レストラン、ホテルを呼び込み、いまや世界有数のグルメシティになりました。さらにこの時期に建設された国際会議場があることで、ロンドンはいまや世界で最も多く国際会議が開かれる都市になっています。
 今年はIR(統合型リゾート)の話題も活発になるでしょう。G7の中でカジノがない国は日本だけ。残された最大のマーケットなのです。日本のIR構想では、1兆円のプロジェクトが3箇所できる予定です。とりわけインバウンド需要の拡大にカジノは大きな役割を果たします。シンガポールはカジノを含むIRを建設することで、インバウンドが30%増大し、その一方で犯罪率が減りました。カジノ依存症への対策は十分行われなければなりませんが、このチャンスをどう活かすかが今年の重要な課題になってきます。
 リスクはあるがチャンスもある。バック・トゥ・バックの時代にこれから日本の社会、経済、政治がどうなっていくか。みなさんにはぜひ厳しい目で見ていただきたいと思います。

プレゼンテーション経営視点で見る不動産の活用方法

三菱地所リアルエステートサービス
企業不動産三部長 大塚 裕一

地の利を活かすCRE戦略
外部専門家の積極活用を

持続可能な経営を目指すためのCRE戦略

 経営戦略として不動産活用を考えるために昨今の不動産市況に目を向けると、過去のバブル崩壊の際に見られたような急激な落ち込みをする要因は見当たらず、上昇、下降を繰り返しても、比較的予想の範囲内で推移していくものと言えます。マクロ経済の大きな変化がある場合を除き、「夏以降も不動産市況は安定的に推移する」とアナリストの多くは見ているようです。企業にとって不動産は不安定要素の少ない財務戦略に適した資産といえ、今後もCRE(企業不動産)戦略は適材適所で地の利を活かす経営戦略の有効な手段だと言えるでしょう。
 これまでの不動産管理がCRE戦略として高度化するきっかけとなったのが、2008年4月に国土交通省が策定した「CRE戦略を実践するためのガイドライン」でした。ここでは不動産を単なる物理的生産財ではなく経営資源として捉えること、つまり、企業価値を向上させるために、不動産の最適な利活用をすることが重要だとされています。とりわけ土地は、地域に根差した公共財的な性格を持った経営資源であり、また、その立地そのものが企業の強みとなることも多いのです。
 ガイドラインではCRE戦略を進める上では、企業の経営形態そのものについても見直すこと、さらにITを最大限活用すること、コーポレートガバナンスに対応したCREマネジメントサイクルの構築なども必要であるとされています。
 ガイドラインが策定された2008年はまさにリーマンショックが起きた年でした。多くの企業は、バブル崩壊の後遺症から立ち直り、財務体質が健全化されてきたタイミング。不動産も仕分けが進み、ノンコア資産が処分され、贅肉が落とされ筋肉質に変化した時代でした。このタイミングでのガイドライン策定は、バブル期までの秩序のない経済体質の反省から、企業が地域社会にも目を向け、それぞれ持続可能な経営体質を目指すためにも必要なことでした。

大塚裕一が語る

建替え、大規模改修、クリエイティブオフィスの需要増大

 ガイドライン策定から10年以上たった今、好景気のバブル期に建設された多くのビルや施設が築後30年目に突入し、経年による修繕対策の必要に迫られています。1964年のに建設されたホテルや施設も、いま建て替えや大規模改修が進められています。建物である以上劣化は避けられません。しかし時代に準拠した基準などを満たしていかないと、維持や経営にも影響してしまいます。売却や修繕、建て替えなど、30年、50年先の中長期的なビジョンを持って、社会性と企業戦略を同時に考えることがますます必要となってくるでしょう。
 さらに、M&Aのタイミング、本社や拠点の見直しなどにあたり、機能型かつ集約型のオフィス開発を相談されるケースも増えています。より創造性を重視した「クリエイティブオフィス」の概念が浸透している影響も感じるところです。
 こうした課題がさまざまにあるなかで、CRE戦略立案・実行のための専属の部署や人材を新たに配置することは大変です。そのために私たちのような外部パートナーの専門部隊がいるわけです。私たちがお手伝いするCRE戦略は、業種業態を問わず、個々の企業の事業展開や経営戦略に沿った上で進めるものです。その前提として、コア資産とノンコア資産の分類など、現状を把握しそれを「見える化」することが欠かせません。私たちが開発した「CRE@M」というクラウド型管理システムでは、不動産の資産状況、活用状況を分析しながら価値評価とポテンシャルを見極めていきます。その上で、CREの戦略スキームを描き、それを実行していく。こうしたマネジメントサイクルを動かしていくことが、私たちの提供するサービスです。

CRE@Mについて詳しくはこちらからご覧いただけます

「場」の利点を最大に活かす、本社移転プロジェクト

 これまで私たちが関わった事例には、CRE戦略視点から企業価値やブランド価値の向上に貢献したものがいくつもあります。
 例えば、九州のある場所に事業跡地をもつ企業。今後の活用に関して、自治体や各分野のアナリストとも協議を重ね、資産活用のためのグランドデザイン作りのお手伝いをしています。土地や場所というものは資産の上では重要な財務強化になりますが、極めて公共性の高い資産です。土地の売買においては買主となる企業の思惑だけでなく、周辺地域への影響度や発展を見越した調査がCRE戦略の基本となります。
 もう一例として、ジーンズやカジュアルファッションを中心に国内外に多数の展開されている企業があります。これまで本社機能を茨城県に構えていたのですが、これをファッションの中心地・原宿に移転したいというご相談をいただきました。人材と時間・スピード、それから情報力、それらを効率よくアップデートするためには本社移転が不可欠という判断でした。
 まず人材面でのアップデートとして、ファションに敏感で創造性の溢れる原宿に本社を置くことで、ファションに敏感で創造性の高い人材が集まりやすくなります。リクルーティングにおいて、これらは企業の将来を考えると非常に大きな戦略的メリットです。
 次に時間・スピードの面。インターネット環境が整備された世の中でも、人と人が直接出会い、会話をすることから生まれる創造性には代えがたいものがあります。判断の早さが問われる場合にも、場所の利点は欠かせないものです。この企業では移転にあたって、かつて4フロアだったオフィスを1フロアに集約し、各部署間の連携をスムーズにすることで時間の費やし方が劇的に変化しました。ファッション業界のように流行予測に敏感に対応する業種では、スピードアップが企業力に直結します。
 さらに、本社移転に伴う情報力の強化も重要でした。今や国際的にも注目される原宿エリア。発信力は凄まじいポテンシャルを持っています。業界関係者からメディア、世界のファンが注目している地域に本社を構えるだけでステイタスが変化するのも当然だと言えます。このことは、働く社員の意識を高めることにもつながり、インナーブランド戦略にも大きな影響を与えることとなりました。
 企業戦略として移転を考える上では、使いやすさ、働きやすさという観点だけでなく、場所の優位性、場所の持つ意味合いを考慮することが欠かせません。移転の機会はブランド戦略の見直しのチャンスでもあります。将来のグランドデザインを構築する上でもきわめて効果的なCRE戦略として位置付けられます。

特別講演好き嫌いと競争力

一橋大学一橋ビジネススクール
国際企業戦略専攻 教授 楠木 建氏

「好きこそものの上手なれ」が最強の競争戦略だ

競争とは他社にはない
決定的な「ディファレント」を生み出すこと

 竹中さんが比較的マクロな視点からお話になったので、私はミクロな視点でこれからの企業の競争力について、思うところをお話ししたいと思います。
 一般に企業戦略を語るときは、プロダクトやサービスの「良し悪し」を基準で考えることが多いのですが、私は「好き嫌い」という価値基準も大切ではないかとかねがね申し上げてきました。例えば「犯罪を犯してはいけない」とか「時間に遅れてはいけない」という倫理は、誰もが周知する普遍性の次元にある価値基準によって、「良し悪し」で判断されるものです。一方で「カツ丼より天丼が好き」というのは個人の好み、好き嫌いです。けっして普遍的ではなく、局所的な文化や関係性のみで通じる価値基準です。
 なぜ企業の競争戦略で「好き嫌い」が重要なのかという前に、そもそも競争戦略とは何でしょうか。一言で言えば競合他社との違いを作るということです。「違い」には二つあり、他社よりもより品質がいいとか価格が安いといった一定の尺度上で序列がついてしまうもの、つまり「ベターかどうか」という違いもあれば、そもそも市場でのポジショニングが異なるという違いもあります。後者を私は「ディファレント」の違いと呼んでいます。
 ベターで競い合うと、誰もがベターを目指すので、いずれはその差がなくなり、競争は終わりを迎えます。100m競走のように誰かが勝てば、誰かが負けるという関係です。ところが、「ディファレント」には同じ価値尺度が当てはまらないので、共存共栄という関係が成り立ちます。真の意味での競争戦略とはこの「ディファレント」の違いを強調するところにあります。
 私が長年関与しているアパレル業界でいえば、ファストファッションの世界での競争があります。時代や人々の嗜好の変化に対応して、流行る商品を開発することをみんなが競い合っています。競馬の比喩で言えば、流行を追うためにはパドックで出走馬を見極め、勝利馬を予想することが必要です。予想には不確定要素がたくさんある。それだったら、最終コーナーを曲がる順番を見てから馬券を買えば、ほとんど負けることはありません。勝つ馬だけに投資するのです。しかしそのためには、サプライチェーンを他企業よりも短くして、消費者の好みの変化にクイックレスポンスをしなければなりません。

楠木建が語る

「好き」を原点にした経営者のセンスこそが重要

 しかし、こうしたファストファッション企業とは違う戦略を立てて、市場に独自の位置を占めているブランドもあります。そのブランドは長年かけてファッションのベースとなる生地から開発し、競馬の比喩で言えば絶対に勝てる独自の馬を生み出します。マーケットインではなく、徹底的なプロダクトアウト。しかもそれを大量生産しますから、価格も安くなります。けっして製品の「良し悪し」だけを競うのではなく、経営者がどういうビジネスをしたいか、どういうユーザーに服を着せたいかを「好き嫌い」で判断してそれに挑み、流行を追うのではなく、流行を作り出すことに成功したのです。もちろん好き嫌いを優先すれば、一方のマーケットを開拓している間は、もう一方の市場には参入できません。好き嫌いの市場戦略は常にトレードオフの関係にあります。
 こうした「好き嫌い」を実際の経営に活かすために必要なものは、ひとえに経営者のセンスです。もちろん、有能なスキルをもつ担当者も重要ですが、実務担当者だけでは、ビジネス全体をまるごと動かすようなことはできません。スキルは教えることもできるし、習得することもできますが、センスばかりは育てることができない。いかに実務能力が高くても、ビジネスのセンスがない人が経営を手がければ、成功は見込めません。
 スキルの向上が「TOEICで高い点を取ったら昇進できる」というようなインセンティブを起点にしているのに対して、センスを磨くということは、この仕事がこの業界がこの製品が「好き」だから、という点を起点にしていることも、大きな違いです。センスを磨くためにはそのための努力を娯楽のように楽しむくらいの心持ちが必要なのです。好きを起点にして、【努力の娯楽化】→【継続的無意識の錬磨】→【上手になる】→【余人をもって替えがたい】→【成果が人の役に立つ】→【ますます好きになる】、という好循環が生まれるのです。端的に言えば「好きこそものの上手なれ」こそが競争戦略で優位に立てる最強の論理ということができます。
 かつての日本の高度成長期のような、あるいは今の中国のような時代には、製品のスペックで競い合う「良し悪し」の戦略が重要でした。しかし今の日本は成熟した、多様化した世界です。多様化の源泉にあるものこそ「好き嫌い」です。成熟したマーケットだからこそ、好き嫌いの競争戦略は有効に働くのです。

楠木建氏が語る競争戦略については、こちらでもご覧いただけます

Profile プロフィール

慶應義塾大学 名誉教授/
東洋大学 教授

竹中 平蔵

博士(経済学)。一橋大学卒業。
ハーバード大学客員准教授、慶應義塾大学総合政策学部教授などを経て2001年、小泉内閣の経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、総務大臣などを歴任。現在、公益社団法人日本経済研究センター研究顧問、アカデミーヒルズ理事長、(株)パソナグループ取締役会長、オリックス(株)社外取締役、SBIホールディングス(株)社外取締役、世界経済フォーラム(ダボス会議)理事などを兼職。

Profile プロフィール

三菱地所リアルエステートサービス
企業不動産三部長

大塚 裕一

デペロッパー勤務を経て2006年に入社。2013年より企業不動産三部に所属。企業不動産三部は上場企業を中心に、企業による不動産経営に対して、中長期的な視点からCRE戦略を提案する専門部署。2019年4月より現職。

Profile プロフィール

一橋大学 一橋ビジネススクール
国際企業戦略専攻 教授

楠木 建

1964年生まれ。一橋大学商学部卒、同大大学院商学研究科修士課程修了。同商学部助教授、同イノベーション研究センター助教授、イタリア・ボッコーニ大学ビジネススクール客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年から現職。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)は20万部を超えるベストセラーに。他に『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019、文藝春秋)などの著書がある。

トップ > コラム > 日経産業新聞フォーラム スペシャリストの智CREカンファレンス2019-2020・レポート