
──楠木先生は、一橋ビジネススクールで企業の競争戦略をテーマに授業をされています。多くの企業の経営諮問委員やアドバイザリーボードにも名を連ね、具体的な経営アドバイスもされている。そうした経験から、これからの企業戦略においては、良いか悪いかという判断よりも、好きか嫌いかが重要になるという提言をされています。しかし、経営学の文脈で「好き嫌い」という言葉を聞いたときは、最初は少し違和感がありました。
企業経営に限らず、すべての戦略は目標を実現するための手段です。では企業経営で究極的な目標とは何でしょうか。私は、“商売を通して長期的に利益を上げ続けること”であると考えています。短期的な利益を目標に据え、それだけを達成しようというのであれば、ステークホルダーに不利益をもたらしかねない方法もあるでしょうが、それが長期的な利益につながるなどということはけっしてありえません。企業が長期的に儲け続けるためには、顧客も株主も社員も地域も、ステークホルダーのすべてがその企業の振る舞いに満足していなければならないからです。
一般の事業会社は常に競争にさらされていますから、その中で持続的に利益が出るということは、その企業の製品やサービスに価値があるという何よりの証拠です。長期利益を投資家が評価すれば、株価は上昇し、企業価値は増大します。企業は事業を拡大し、結果的に雇用も増えるでしょう。それができて初めて社会貢献もできるようになる。企業にとっての最大の社会貢献は納税だと私は考えているので、しっかり仕事をして、きちんと納税すること、それ自体が社会のためになるのです。
つまり、長期利益の創出、ここにこそ商売の一義的な目標がある。古今東西、長期利益は経営の優劣を示す最上の尺度なのです。
それは一言で言って競合他社との「違いをつくる」ことです。ポイントは、「違い」には違いがあるということ。違いは「ベター」と「ディファレント」に大別できます。
市場の全員がすべての情報を共有し、市場への参入・退出も自由、商品自体も同じという“完全競争”の市場が成立していると仮定しましょう。これは経済学の教科書にも書いてあることですが、そこでは余剰利潤はゼロになります。実際はこのような市場はありえないのですが、すべてのプレイヤーに差がない完全競争の市場では誰も儲からない。
完全競争になってしまえば話はそこでおしまいなのですが、それぞれの企業が違いをつくれば完全競争にはならない。そのために他社とは違うことをしなければならない。これが競争戦略の根本にある論理です。
──他社と違うことをする競争戦略について、もう少し具体的に教えていただけますか。
しかし、どちらがベターかを競う社会では、誰もがベターになりたいので、双方が同じことを繰り返して物事の決着がつかない状態になります。例えば『1週間でできるダイエット』という本が出てヒットしたら、別の出版社は『3日で痩せる』という本を出して対抗するでしょう。別の会社は『1日ダイエット』本で新規参入するかもしれません。書籍のタイトルの時間を短くすることが競争条件になる。最後には『マイナス3分で痩せる本』などというものが現れるかもしれない。でもこれでは逆に太ってしまう。
このように、ベター競争にはいつか終わりが訪れます。終わりに向けた消耗戦を続けるのでは、けっして長期的・持続的に利益を生み出せない。戦略として筋が悪いのです。
しかし、「違い」にはもう一つのタイプがあります。A社とB社では同じ業界に属していても、全く方向が違うという「違い」です。人間でいえば男と女の違い、九州生まれの人は北海道生まれではないといった違いです。英語で言えば「ディファレント」。あなたよりも80%男性だということはありません。質的に「違う」。そこに物差しはありません。
競争戦略、つまり、他社と違いは、「ベター」ではなく、「ディファレント」でなくてはならないのです。
物事を選択するときに、人は何かしらの価値判断をしています。世の中には大きく「良い悪い」と「好き嫌い」という二つの価値判断の軸があります。「良い悪い」の価値基準の背景には、普遍的なコンセンサスが成立しています。例えば「罪を犯したら罰せられる」というのが刑法の基本です。これは人類が長い間かけて築き上げてきた、最も普遍性の高い価値基準の一つでしょう。罪を犯してはいけないということには、社会的なコンセンサスがあります。“犯罪”は「好き嫌い」ではなく、「良い悪い」で判断されるのです。
しかし、個人の趣味のように限定された、局所的なシーンでは、ほとんどの場合「好き嫌い」が価値基準になります。うどんとそばのどちらが好きか。温かいのがいいのか、冷たいのがいいのか。それを選ぶのは「良い悪い」ではなく、個人の好み「好き嫌い」です。おそば屋さんで温かいそばを注文した同僚に、「なんでそれを選ぶのか。冷たいうどんを選ぶべきではないか」などと否定する人は普通はいません。
私は、こうした「好き嫌い」の価値基準が企業の競争戦略でも重要な意味をもつと考えています。私が長年コンサルタントとしてお手伝いしている会社に「U」というブランドを持つアパレル系の企業がありますが、彼らは自社の商品をファッションではなく、ライフウエアであると定義しています。洋服は人々の快適な生活を構成する部品であって、組合せは自由。その部品には生活提案が入っていて、その機能を毎年向上させることで、Uはグローバル市場で消費者の支持を得ています。
かたや海外資本の「Z」というブランドがあります。こちらは、ファッション性に優れた服を手ごろな価格で提供することで成功しました。流行を機敏に追いかけるファストファッションに専念して、このマーケットで独自のポジションを確立しています。
「U」も「Z」もそれぞれ戦略が明確で、かつ目指す方向性が違います。共に「ベター」で競うのではなく、「ディファレント」で競い合っている。それゆえに、マーケットの顧客も、どちらが「良い悪い」ではなく、「好き嫌い」でブランドを選択します。「どちらも良いのだが、私はこっちが好き」という、良いものと良いものを比べて選択しているのです。
良いものと悪いものがあってどちらかを選ぶという選択では、先にも申し上げたように戦略的意思決定は必要ありません。そうではなく、良いものと良いものの中でどれを選ぶのか、選ばれるかという、「好き嫌い」の価値基準における闘いでこそ、真の競争戦略が必要とされるのです。
──好きか嫌いかということは、どちらが勝つとか、どちらが負けるということではないのでしょうか。
ところがビジネスの場合は、プレイヤーがそれぞれに「違い」をつくり、それぞれに異なったポジションを取ろうとしますから、同じ業界でも同時に複数の勝者が存在しうる。今の段階では「U」も「Z」も共に勝者です。ですから“市場競争”とはいうものの、現実の武力を用いた戦争などに比べれば、ビジネスはより平和的な性質をもっています。相手を完璧に打ち倒すことは商売の目的ではありません。顧客に対して独自の価値を提供することが大切なのです。
──つまりスペック競争ではなく、価値観の違いを軸にして、ポジションを変えるということですか。
もちろんスペックや良し悪しで、競争が行われていた時代もありました。かつてはデジタルカメラの重要なスペックは画素数の多寡でした。それは、当初のデジタルカメラの画質がお世辞にも良いものとは言えなかったからです。機能や品質が十分ではないときは、スペックの良し悪しで競争した方が、優劣が明確になります。
ところが、いまやデジカメの画素数など、気にする人は少なくなりました。画質の好みやボディのデザインにこだわる人はいますが、それはスペック競争ではない。デジカメは商品とマーケットが成熟したからこそ良し悪しの競争が終わってしまい、別の価値観で闘うしかなくなったのです。
かつての高度成長期には、日本人の誰もがマイカーを所有したいと望みました。そうしてその時代にはより安く、燃費がよく、壊れにくい自動車が選ばれました。ところが、自動車が広く普及すると、そうしたスペックへのこだわりは薄れました。最近はむしろ車の個性が重視されるようになっています。このように社会が成熟すると共に、価値基準は良し悪しから好き嫌いにシフトしていくものなのです。高度成長期は一種の過渡期現象であって、すべての経済のモデルになるものではありません。
日本も欧米もすでに成熟した消費社会です。これから間違いなく中国もそうなっていくでしょう。競争戦略はますます「ディファレント」をつくることに重点が置かれるようになります。そこでの価値基準は良し悪しではなく、好き嫌いになっていく。企業が長期的に利益を創出するための方法は、「好き嫌い」の競争戦略以外になくなってきているのです。
──では、成熟社会における「好き嫌い」の競争戦略を立てるために、企業経営者はどう行動したらよいのでしょうか。
経営者は好き嫌いという価値基準に沿った企業戦略を持ち、それを堂々と株主に説明すべきです。ベターではなく、ディファレントを示すことの方が、今のような成熟した経済の中では長期的に見れば必ず儲かる、と断言すべきです。投資家や株主のほとんどは短期的な収益を気にしがちですが、それに振り回されているだけでは、本当の意味での企業価値は生まれないでしょう。
もちろん、戦略的な意志決定には絶えずリスクが伴います。北に行こうと決めた時には南に行けない。南にいる顧客は諦めざるをえない。戦略とは、互いにトレードオフの関係にあるものを、好き嫌いで選択することなのですから。そういうリスクがあることも含めて、ステークホルダーを納得させることが経営者の務めということになります。
──これまでのお話を不動産業界に当てはまると、どのようなことが見えてくるでしょうか。
私はビジネススクールの授業を一橋だけでなく、北京大学やソウル大学と共同で行うことがあるのですが、来日した彼らを仲通りに案内すると、みな一様に驚きます。まさにこの通りは、成熟した日本のビジネス街の洗練を象徴するような場所だからです。しかも昔からそうだったわけではなく、近年、不動産関連を含めた企業と街の人々が協力して、独自のビジョンで街づくりを進めたからこそこうなったと説明すると、彼らは感嘆の声さえあげるようになります。丸の内の街づくりは、まさに生きた経営学の教材です。
東京はその広がりとバリエーションを活かして、それぞれの地区が、良い悪いではなく、好き嫌いで競い合っているようにも思えます。渋谷は渋谷の、六本木は六本木の、そして丸の内は丸の内ならではの個性があり良さがある。それぞれの街が自らの方向を定め、「好き」を前面に出した都市計画をしたからこそ、良い意味での棲み分けができているのです。
こうした「好き嫌い」の価値基準に従った戦略は、事業会社の不動産戦略にも活かされるものです。オフィスをどこに置くか、どんなオフィスにするかは、企業経営においてきわめて重要なことです。社員が毎日働く場所という意味での重要性もあります。それ以上にどこに本社機能を立地させているかで、その企業のカラーやポジションなどの個性を外部に伝えることができるからです。
私が経営顧問をしている、ある金融機関グループは、かつて銀行の東京本社が千代田区にありました。しかし十数年前に経営破綻して、銀行の再建を考える中で「自分たちは都心のメガバンクとは違う。中小零細のお客様のところにさっと出向いてニーズを引き出す商売だ」と自社のポジションを再定義したのです。そうとなれば、都心に本店を構える必要はありません。銀行の東京本社は都心の千代田区から下町に引っ越しをして、他行とのポジショニングの違いを明確にしました。
このように、不動産戦略はときに企業の競争戦略を可視化し内外に示す重要なツールとなります。ですから創業の土地へのこだわりも、それをストーリー化することができれば、企業価値を向上させるための重要なファクターになりえるでしょう。

一橋大学 一橋ビジネススクール
国際企業戦略専攻 教授
楠木 建
1964年生まれ。一橋大学商学部卒、同大大学院商学研究科修士課程修了。同商学部助教授、同イノベーション研究センター助教授、イタリア・ボッコーニ大学ビジネススクール客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年から現職。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)は20万部を超えるベストセラーに。他に『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019、文藝春秋)などの著書がある。
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