新時代の事業承継。
進化のための受け継ぎ方

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目次

 大手銀行で、不動産仲介・相続コンサルティング、不動産ファイナンス業務に長く従事してきた田中歩氏。その豊富な経験と知識を生かし、現在は、独立系の不動産コンサルタント会社を経営しながら、中小企業の不動産活用から相続・事業承継戦略、さらには街づくりを通した地域活性化にまで幅広く取り組んでいます。平成という時代における、日本企業の不動産戦略の変遷を振り返りながら、事業承継というタイミングにこそ活かすべき新たなCRE戦略について伺いました。

「保有から利用へ」
平成30年間の不動産戦略を振り返る

──今回は事業承継における不動産の位置づけがテーマですが、平成時代がまもなく終わりを告げるというタイミングもありますので、その前にこの平成の30年間を総括し、企業不動産についての考え方にどのような変化があったのかを振り返ってみたいと思います。

  大きく変わったのは、不動産の担保評価の方法でしょう。それと共に企業における不動産の位置づけやその活用について、大きな意識転換が生じた30年間だったと思います。バブル期やそれ以前の不動産評価法というのは取引事例比較法、つまり対象不動産と条件が近い物件の取引事例を数多く集めて比較評価する方法が一般的でした。あえて言えば比較的おおらかな評価で済んだわけですね。
 ところが、90年代末期の金融危機を契機に、日本の金融機関などが保有する不動産が、外資系企業にシビアに査定され、買い叩かれるという事態が生じます。外資系企業が得意とする収益還元法が、不良資産処理に用いられることで、不動産についての考え方は180度変わりました。収益還元法というのは、不動産の収益性に着目して、その不動産から将来得られるべき価値を現在価値に割引して評価する方法のことです。
 つまり、不動産というのは保有しているだけでは価値を生まず、それを利用しなければ価値は生まれない。まさに不動産の「保有から利用へ」という、発想の大転換があったわけです。

──ただ、保有から利用へといっても、単に不動産を売ったり、高利回りで投資したりするだけが方法ではないですよね。

 確かにそうです。外資系企業の手法に刺激されて、日本企業の経営者たちはその後、市場原理主義、株主至上主義という視点を持つようになり、新しい経営管理手法やビジネスモデルを取り入れるようになりました。それが平成の中期の10年間ほど続くわけです。しかし、2008年のリーマンショックのあたりから、そうした風潮に対する懐疑的な声を耳にするようになります。
 市場原理主義的な発想でいくと、不動産というのは単なる“箱”であり、それを利用してリターンを挙げて、企業の株価を上げることが全てになり、アセットに投資する以上、投下資本利益率(ROIC)をいかに上げていくかが絶対的な命題となります。しかし、果たして不動産については単純にそういう発想だけでいいのか、という疑問が生まれるのです。
 不動産は株主の稼ぎのためだけの“箱”ではないのではないか。そこにいる人が様々なステークホルダーや周辺エリアとのコミュニケーションを行い、新たな価値を生み出す“場”でもあるはず。単に企業と株主を潤すだけでなく、経済学でいう外部不経済的なものを含めて企業活動をトータルで考える必要性が叫ばれるようになってきたのと同じようなことかもしれません。

田中歩が語る

──“箱から場へ”への転換では、どういう事例に注目されていますか。

 シェアハウスやコワーキングスペースなどはその典型例です。人の動線や目線を意識し、プライバシーと共有の境目を上手に作りながら、全く違う人たちがいいカタチで、いい距離感で触れあう空間を作りだす。そこで異なる価値観の人々と暮らしたり、ミーティングをしたりしながら、人々は新しい価値を創造し、新しい体験を共有することができます。
 こうしたシェアハウスやコワーキングスペースが従来の賃貸市場で得られる以上の利益を上げるようなビジネスモデルを作れば、不動産価値は上がり、その価値は地域にも還元されるはずです。まさに平成の最後の10年には、不動産の保有から利用という流れが単に金額的な価値の話に終わるのではなく、場の共有という視点も含めた、より広がりのあるものに変わってきたのだと思います。

──モノからコトへという消費行動の変化とも相関している話ともいえますね。三菱地所グループがかかわる、丸の内再構築もその例と言えるかもしれません。

 仰る通り、丸の内再構築は不動産開発事業において新たな考え方を実現したプロジェクトの一つだと思います。一方、不動産仲介業の役割は基本的にあるところからないところへ情報を移して、マッチングさせるというサービスでした。しかし今は単に情報の移転やマッチングだけではなく、情報の価値を持たせるために、“編集”をしなければならない。しかも単に不動産という一次元のモノだけでなく、それがもたらす価値をより多次元的・立体的に表現する高度な編集作業が不可欠です。編集すればするほど“箱”が“場”になり、場が地域全体に影響を与え、アセットの使い方次第で様々な価値が生み出せる時代になったわけです。逆にいうとそれができないと不動産企業も生き残れない時代になってきたのだと思います。

不動産価値を定点観測し、
先代と承継予定者が情報を共有すること

──ここで今回のメインテーマでもある、事業承継にあたってのCRE戦略について考えていきたいのですが。

 事業承継時に限らず、企業が不動産とどう付き合っていくべきかについては様々な議論があると思います。しかし私はあまり複雑に考えず、まずは現金・生産設備・人財などと同様に不動産もアセットの一つと割り切ってもいいのではないかと思います。それらは単に保有していればいいというものではなく、それをどうやって活かすかが常に問われます。個別に活かすだけではなくそれらを組み合わせることが不可欠であり、それは先ほどの“場をつくる”という考え方に近いものがあります。その意味では不動産だけに閉じて考えるのではなく、ビジネス全体、いろんな事業部門があるなかで、経営全体の視点から不動産を捉える視点が不可欠になります。
 ところで、事業承継にあたっては、特にオーナー経営の中小企業の場合、相続税負担などに耐えきれず、不動産を売却してしまう例をよく見かけます。あるいは、後継者がいない、育てきれなかったということで廃業してしまうケースも少なくありません。実は事業承継というのは、不動産と目に見えるビジネスだけを承継するわけではないのですね。企業の歴史や哲学、顧客を含めて事業そのものを承継し、新たな形に変えていくベースを作ること。つまり、先代の思いを引き継いで、それをカスタマイズできる人がいなければ承継はできないのです。
 私のような不動産コンサルタントは、その会社の事業計画や中期計画などを照らし合わせたとき、不動産をどう扱うのかという提案を常に求められています。売却は一つの解にすぎず、むしろ売った買った後のビジネスをどう再構築するかが重要だと考えています。
 なかでも上場していないプライベート・カンパニーにとっては、不動産には蓄財機能という別の側面があります。代々築き上げ、不動産に結晶化した財産価値をどう承継していくか、という視点が生まれる。そこが上場企業とはちょっと違うところです。必ずしも株主資本主義的な発想ではなく、一族でビジネスをやっていくときの蓄財機能としてそれをどう活かすか。これも重要になります。
 もちろん、オーナー経営者の中には、承継のタイミングで事業を売り切り、そのお金で若い人たちが始める面白い会社を支援したり、経営指南をしたりする人もいます。ですから考え方は様々あっていいと思うのです。重要なのは自らのビジネスのDNAを時代にフィットさせながら新たに進化させるために、どのように受け渡していくかということなのです。
 20年働いてまた数年勉強して、それからまた別の仕事を始める、そういうことが可能な人生百年時代ですし、変化するスピードの速さゆえ昔の知識や手法は通用しない。歴史が古く組織が大きくなればなるほど、自由に振る舞えないということはあるかもしれませんが、しかし、そこを乗り越えて何らかの形で渡さないと、企業は進化を止めてしまいます。

──一般的な事業会社ではなく、豊富な不動産を所有して不動産運営を行う、いわゆる“大家業”の場合はどうでしょうか。

 これはむしろ一般的な事業会社よりはシンプルだと思います。多種多様な事業やアセットを保有しているわけではないので、賃貸市場の中で物件ごとの収支やリスク、資産と負債のバランス、資産効率性などをまずはチェックすればよいわけです。ですから、毎年、事業を定点観測しながら、どうやって売上げアップとコストダウンを図るか、効率的に修繕や運営をしていくかを考えながら経営を続けるというのが基本となります。
 ただ現実には、それをきちんとできていない企業が多い。不動産資産がどうなっているかを、現役世代と承継予定者が情報を共有し、相続対策も事前に進めておけば何の問題もないのですが、それを怠ったばかりに相続が発生して初めて、こんなに借入があったのか、返せるのかと焦ってしまい、あまり考えずに不動産を売ってしまうことがあります。全く残念なことです。
 先進的な賃貸経営を実践する大家がまだまだ少ないという意味でも、定点観測と情報共有さえやっていれば不動産賃貸事業そのものは一般の事業会社の市場環境より現時点では競争が激しくなく、新しいビジネスを展開するチャンスは十分にあります。例えば先に述べたシェアハウスやコワーキングスペースのような、“箱”ではなく“場”を企画してそこに人々を集めるようなビジネスもその一つです。あるいは大家自らがそこに暮らす人と過ごす場、例えば自分で育てた野菜を住人と共に食する会などといった場を作ったりすることで退去率を減らしたという事例などもあります。しかし実際にはこうした動きがまだ少ないので、今はまだチャンスがあると思います。

田中歩が語る

承継後の事業ビジョンから
バックキャスティングして今を考える

──事業承継は、不動産を活かして新たなビジネスを生み出すチャンスでもあるというお話でしたが、そうしたタイミングが訪れたときに重要になるビジネス・マインドとはどんなものでしょうか。

 地域の若手企業人が進める街づくりにおいて、場を作る際に話題に挙がる共通の考え方が3つあります。1つは、一人で儲けるのではなく、みんなで幸せになるという精神。2つ目は、最初から大きくやるのではなく、小さなことを数多く始めることが大切だということ。そして3つ目がバックキャスティングな発想です。目標となるような状態を想定し、そこを起点に現在を振り返って今何をすべきかを考える、いわば未来からの発想法です。
 街づくり、場づくりでは、絵を書くのが上手な方に実際にイメージを描いていただきながら発想を深めていくことが多々あります。新しい街では、おじいちゃんと子供が一緒に何かしている。パン屋さんがこの角にあって、向こうには八百屋さんがあって、その前でママたちが立ち話をしている、というような具体的なイメージです。絵は複数の人とイメージを共有できますし、そうした賑わいを生み出すためには、1年後、2年後には何をする必要があるのかを考えやすくなるのです。

──これはスタートアップだけでなく、大手企業にも当てはまる考え方ですね。

 おそらく事業承継をきっかけとした、CRE戦略の立案でも同じことが言えるのではないかと思います。事業承継というと、どうやって税金を払うかが重要な関心事ではありますが、それはあくまでもスタートでしかありません。税金の対策はいくつかの方法がありますが、やれることには限界がある。奇策はなく、結局は王道を進むしかないのです。
 しかし、こうした入口の税金の話と、事業を承継してから次の事業をどうやって生み出すか、地域のどんな人たちとどのような共有の場をつくっていくのか、というのは別の次元の話です。私自身もコンサルティングはその入口から入りますが、肝心の事業ビジョンの話に行きつくまで1年ぐらいかかることもまれではありません。けれども、事業承継のビジョンがないままで、小手先の対策をいかに労しても、企業の進化はありえない。ビジネスモデルが激変する今の時代、進化を止めた企業は消滅するだけです。成長するためのビジョンがやはり重要で、そのためにも不動産というアセットをどう活かすかが、これからも問われていくと思います。

Profile プロフィール

株式会社あゆみリアルティーサービス代表取締役/
宅地建物取引士/1級ファイナンシャル・プランニング技能士

田中 歩

1991年慶應義塾大学経済学部卒業。同年三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)入社。不動産仲介・相続コンサルティング、不動産ファイナンス業務に17年間従事。2008年あゆみリアルティーサービスを設立し、住宅売買仲介から相続・事業用不動産にわたる総合不動産コンサルティング業務を展開。現在、株式会社さくら事務所不動産コンサルタント(パートナー)、ひつじ不動産顧問、株式会社ルーヴィス相談役を兼務。日経電子版で「転ばぬ先の不動産学」を連載中。

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