
2014年以降、日本版スチュワードシップ・コードやコーポレートガバナンス・コードの制定などコーポレートガバナンス改革が、アベノミクスの成長戦略の一環として政府主導で進められている。この中でROE(自己資本利益率)重視の経営が求められている。今回のコラムでは、一連のコーポレートガバナンス改革とROE経営について概観した上で、ROE経営におけるCRE戦略の重要性と課題について考えてみたい。
機関投資家向けの行動原則である「日本版スチュワードシップ・コード」の制定(2014年2月)、企業が投資家との対話を通じて持続的成長に向けた資金を獲得し、企業価値を高めていくための課題を分析・提言した、経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト最終報告書、いわゆる「伊藤レポート」の公表(2014年8月)、社外取締役を選任しない企業に説明責任を課すなど社外取締役の導入を促進する「改正会社法」の施行(2015年5月)、上場企業向けの行動原則である「コーポレートガバナンス・コード」の制定(2015年6月)など、コーポレートガバナンスを強化する施策がアベノミクスの成長戦略の一環として、2014年以降相次いで打ち出されてきた。
アベノミクスの成長戦略である「『日本再興戦略』改訂2014」(2014年6月24日閣議決定)では、「日本企業の「稼ぐ力」、すなわち中長期的な収益性・生産性を高め、その果実を広く国民(家計)に均てんさせるには何が必要か。まずは、コーポレートガバナンスの強化により、経営者のマインドを変革し、グローバル水準のROEの達成等を一つの目安に、グローバル競争に打ち勝つ攻めの経営判断を後押しする仕組みを強化していくことが重要である」として、「コーポレートガバナンスの強化」が謳われている。
このように成長戦略としてのコーポレートガバナンス改革の目的は、事業の選択と集中の下で、設備投資、研究開発(R&D)投資、M&Aなど積極的な戦略投資の実施により、企業の収益性・生産性を中長期的に向上させ、その果実が雇用拡大、賃金上昇、配当増などを通じて国民に還元されて経済の好循環を実現することであり、企業の短期的な業績目標の達成ではないということが重要なポイントだ。企業と投資家は、建設的な会話を通じてこの点を共有・再確認するとともに、経営者はこの点を社内に周知徹底させることが求められる。
我が国の大企業の多くは、外国人投資家の台頭や四半期業績の開示義務付けなど、資本市場における急激なグローバル化の波に翻弄され、2005 年前後を境に株主利益の最大化が最も重要であるとする「株主至上主義」へ拙速に傾いた、と筆者は考えている。多くの大企業は、短期志向の株主至上主義の下で、労働や設備への分配を削減して将来成長を犠牲にする代わりに短期収益を上げ株主配当の資金を捻出するというバランスを欠いた付加価値分配に舵を切り、リーマン・ショック後には大手メーカーが派遣労働者の大量解雇に走った。目先の利益追求を優先する企業経営のショートターミズム(短期志向)は、結局縮小均衡を招くだけで経済的リターンの継続的な創出にはつながらないことに留意すべきだ(注1)。
筆者は、「企業の存在意義は、あらゆる事業活動を通じた社会問題解決による社会的価値(social value)の創出にこそあるべきであり、経済的リターンありきではなく、社会的ミッションを起点とする発想が求められる」と主張してきた。「企業は社会的価値の創出と引き換えに経済的リターンを獲得できるのであり、社会的価値の創出が経済的リターンに対する『上位概念』である」と筆者は考えている。
欧米企業と比較して日本企業のROEは低く、伊藤レポートが目指すべきROEの最低ラインとして8%を提案するなど、一連のガバナンス改革の中で、ROE重視が叫ばれるようになったが、そもそも自己資本コストを上回るROEの確保は、経営者にとって株主に対する当然の責務だ(下式参照)。
ROEを考察する場合、デュポンシステムと呼ばれる分解式による構成要素の分析が重要となる。下式に示す通り、ROEは、売上高純利益率(ROS)、総資産回転率、財務レバレッジの積、すなわちROA(総資産利益率)と財務レバレッジの積(=ROA÷自己資本比率)に分解できる。
上式から明らかなように、目先のROEは、手元資金の取り崩しや有利子負債の調達により自社株買いを行い財務レバレッジを高めれば(=自己資本比率を下げれば)自動的に上がるため、ROEのみを経営指標とすることは財務安定性を損なうリスクを高める可能性がある(注3)。自己資本コストを上回るROEの確保は経営者の当然の責務だが、財務安定性を大きく毀損するようなROE向上は問題だ(注4)。ROEが経営指標として万能ではないと指摘されるのは、運用次第で財務リスクを過度に高めてしまう可能性があるためである。
一方、日本企業のROEは、欧米企業に比べ著しく低い水準にとどまっているが、その主因はROSの低さにある(注5)。日本企業の低ROEは、主として売上マージン、すなわち企業の「稼ぐ力」そのものの低さに起因していると考えられる。従って、日本企業のROE向上には、ROS=稼ぐ力を抜本的に高めることが不可欠であると言える。
以上から、筆者はROA向上と財務レバレッジのバランスを取ることが重要であると考える。すなわち、経営者は、財務レバレッジを適切にコントロールしながら、戦略投資によるROSの向上をドライバーとしてROAを中長期的に高めることに腐心すべきだ。そうすれば結果としてROEは向上する。
(注1)前述の「伊藤レポート」は、日本企業の短期主義経営への懸念を主要な問題意識の1つとして挙げている。
(注2)CAPM(Capital Asset Pricing Model)による定義式。βは株式市場の変動に対する個別企業の株価の感応度を示す。株式市場リスクプレミアムは市場全体の投資利回りからリスクフリーレートを差し引いて算出される。
(注3)単に有利子負債を増加させて財務レバレッジを高めるだけでは総資産も増加するため、総資産回転率と財務レバレッジの積は変わらない。負債利子率がプラスであればROSの低下を通じてROEは低下し、逆に利子率がマイナスであればROEは上昇する。
(注4)過度に財務レバレッジを高めると、格付けの低下により負債コストが上昇するとともに、財務リスクの高まりにより株主の要求収益率=自己資本コストも上昇するため、ROEが上昇しても自己資本コストとのスプレッドが拡大するとは限らない。
(注5)日本企業の低ROEの要因に関する考察については、伊藤レポートを参照されたい。
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