価値総合研究所 寄稿コラム 第4回 ウェルビーイング対応を図ったオフィス環境の広がり
目次
執筆:株式会社価値総合研究所
全4回のうち、今回は「第4回」のご紹介です。
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はじめに
これまで連載3回にわたり、日本政策投資銀行と当社が実施した「オフィスビルに対するステークホルダーの意識調査2023」(以下「本調査」)をもとに、オフィスニーズの変化と、それが市場に及ぼす影響・期待について解説してきた。これまでの連載でも触れてきたとおり、「ウェルビーイング」は新たなオフィスニーズの一つとして重要な要素であるが、本調査では、ステークホルダーによってオフィスビルに求める「ウェルビーイング」に対する考え方や意識が異なることが確認された。そこで、第4回では、オフィスビルのウェルビーイング対応に焦点を当て、「ウェルビーイング対応を図ったオフィス環境の広がり」をテーマとしている。
オフィス環境におけるウェルビーイング対応について説明する前に、そもそも、ウェルビーイングの定義が一般的に定まっていないこともあり、本稿ではまず、ウェルビーイングとは何か、また、わが国での関連する政策動向について概説している。次に、本調査の結果をもとに、需要サイドの観点から、テナント企業のウェルビーイング対応への意識を考察している。最後に、需要サイド・供給サイド・投融資サイドにおけるウェルビーイングへの意識差に触れ、「ウェルビーイング対応を図ったオフィス環境の広がり」について概観し、まとめを行っている。
ウェルビーイングについて
ウェルビーイングとは
近年注目を集める「ウェルビーイング」という単語は、1946年に世界保健機関(WHO)が作成した「世界保健機関憲章」の「健康の定義」の中で使われたのが最初と言われている。「健康の定義」は、「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」というものであり、日本WHO協会は、「病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」と仮訳している 。[1]
ウェルビーイングは、学術的な議論や政策の場に限らず、企業経営やマスメディアで多用されているものの、その定義に唯一の定まったものは存在しない。
例えば、OECDはウェルビーイングを一般的に「人々が自らの人生及び経験に対する心理的反応について行う、肯定的または否定的な評価すべてを含む、良好な心の状態」と定義している。また、「より良い暮らし指標」(Your Better Life Index=BLI)という指標を構築し、加盟各国のウェルビーイングを評価してその結果を公表している(図表1)。この評価は、「所得と富」、「雇用と仕事の質」、「住宅」、「健康状態」、「知識と技能」、「環境の質」、「主観的幸福」、「安全」、「仕事と生活のバランス」、「社会とのつながり」などのように、生活の豊かさを多面的にとらえており、それぞれの領域について、社会全体の平均値を測定することに加えて、グループ間の不平等や、恵まれている人とそうでない人の間の格差なども測定している。
このようにウェルビーイングは多元的な要素で構成されており、個人のレベルについて論じることも、組織や社会集団のレベルについて論じることも可能であるが、広くは「幸福度」に関する包括的な概念として知られ、近年、世界各国で国民のウェルビーイング指標を政策形成に活用する動きが活発化している。
図表1:日本の幸福度
(2018年またはデータが利用可能な直近年)
わが国での関連政策動向
わが国では、2021年の衆議院予算委員会で「ウェルビーイング重視の政策形成にかじを切るべき」等の提案・答弁がなされ、ウェルビーイング政策は一挙に動き始めたといわれている。政府は、「経済財政運営と改革の基本方針2022(骨太方針2022)」において「各政策分野におけるKPI(重要業績評価指標)へのウェルビーイング指標の導入を進める」として、従来のGDPなどの客観指標に加えて、ウェルビーイングに関する主観指標を取り込んだ政策の立案や評価を進め、各種基本計画などにウェルビーイングに関するKPIを設定した。また、2021年7月には「Well-beingに関する関係府省庁連絡会議」を設置し、関係府省庁との情報共有や連携強化、優良事例の横展開を図っている。
ウェルビーイング指標に関しては、内閣府が2019年から実施している国民の意識調査「満足度・生活の質に関する調査」を踏まえた、「満足度・生活の質を表す指標群(Well-beingダッシュボード)」がある(図表2)。ダッシュボードの構造は、第1層に全体的な生活満足度(総合主観満足度)を位置づけており、第2層に「家計と資産」「健康状態」といった11の分野別満足度を位置付けている。11分野の選定に際しては、OECD の「より良い暮らし指標」の分野をベースに、「全体的な生活満足度」と「分野別満足度」の関係を統計的に分析した上で設定している。そして、第3層に分野別満足度との統計的な関係を分析した上で設定した客観指標群を分野別に位置づけている。この構造設定により、総合的な生活満足度や各分野満足度は、経済指標等の客観指標と突き合わせられるようになっており、分野毎の満足度と生活満足度との関係や、分野ごと、あるいは総合的な生活満足度についての客観指標(群)との対応関係等の分析を行っている 。[2]
図表2:内閣府ダッシュボードの体系図
ウェルビーイングという抽象的な概念を評価するものとして、産業界から様々な認証制度も生まれている。米国の「WELL Building Standard」(WELL 認証)が広く知られているが、わが国でも「CASBEE ウェルネスオフィス評価認証」、「DBJ Green Building認証」といった認証制度において、オフィスビルのウェルビーイングに関連する認証・評価を行っている。
図表3:不動産関連認証・評価指標
注目される社会的背景
国内外でウェルビーイング指標を政策形成に活用する動きが活発化しているが、わが国でウェルビーイングが注目される社会的背景として、①効率や利益、売り上げといった“経済指標の優先”から、“心の豊かさの優先”への「価値観の変化」、②多様な働き方や、より良い将来の展望を持てるようになることを目指した「働き方改革」(関連法案の施行)、③従業員への健康投資が生産力の向上、ひいては企業の業績向上につながることを期待する「健康経営の推進」、④働き方改革や健康経営がこれまでより重視される背景となった「新型コロナウイルス感染症の感染拡大(コロナ禍)」等が挙げられる。
これらの要素が契機となり、オフィスビルのウェルビーイング対応について、需要サイドであるテナント、供給サイドであるオーナーサイド、双方から注目されつつあると考えられる。
[1]公益財団法人日本WHO協会「世界保健機関(WHO)憲章とは」
[2]内閣府 政策統括官(経済社会システム担当)「満足度・生活の質に関する調査報告書2023~我が国のWell-being の動向~」
オフィスビルのウェルビーイング対応
ここからは、本調査の結果をもとに、オフィスビルに関連するステークホルダーにおける「テナント企業のウェルビーイング対応への意識」を考察する。
コロナ禍以降、オフィス変更を実施または予定している企業は全体の6割弱を占め、前年比で15%程度上昇している(図表4)。オフィス変更を検討している企業は、使用保有面積の増減予定を問わず、変更理由として「従業員満足度向上のため」を挙げているものが一定割合みられる(図表5)。また、前年(2022年)と比べ、医療施設や健康増進施設、リフレッシュスペースといった、ウェルビーイング実現につながる設備・サービスへのニーズは総じて高まっており(図表6)、ウェルビーイングへの注目度の向上と、それがオフィス戦略に影響を与えていることが窺える。
ウェルビーイング対応への企業の関心を上場区分・エリア別でみると、プライム市場上場企業ではウェルビーイング対応に対して、物件選定時の「重要度が高い」または「必須」と回答する企業割合が多い傾向にある。また、都市別に比較すると、東京都特別区内の方が、重要度が高い傾向がみられた(図表7)。
特に、人材獲得競争の激しい東京都で、ウェルビーイング対応への関心度が高い傾向がみられたことは、人材確保面でオフィスの快適性や利便性の向上が差別化要因となりうることの示唆とみられる。
また、プライム市場上場企業は長期的な経営戦略に則りオフィス戦略を検討している場合が多く、優秀な人材確保に重点を置いたオフィスのあり方を検討しているため、ウェルビーイング対応の重要性が増していると推察される。
図表4:オフィス変更状況
図表5:オフィス変更方法別
オフィスの変更理由
図表6:注目している
ウェルビーイング対応の設備・サービス
図表7:上場区分別×都市別
オフィスビル選択基準のうち
ウェルビーイング対応に関する重要度
アフターコロナへの移行によりオフィス戦略変更の動きが活発化する中、人手不足の状況から、企業では優秀な人材確保、従業員満足度向上のために必要なオフィス環境を構築するニーズが高まっている。このニーズは、今後オフィス変更を検討・予定している企業でより顕著であることから(図表8)、オーナーサイドには従業員満足度向上につながるオフィス供給が期待される。
また、そのような優秀な人材確保・従業員満足度向上を目的とする企業では、フリーアドレス化・少人数会議スペースの増加等、社内コミュニケーションの活性化を図るオフィス環境を検討する場合が多く(図表9)、その結果として、今後、オフィスの使用面積が増加する可能性も推察される。
図表8:変更時期別
オフィスビル戦略変更の検討理由
図表9:オフィス変更方法別
オフィスビル戦略変更の検討理由
ウェルビーイング対応に係る設備について具体のものをみていくと、「共用会議室」や「個室ブース」などの生産性向上に資するものや、前述したコミュニケーション促進等に関連する機能が比較的注目されている傾向にある(図表10)。これは、コロナ禍で定着したハイブリッドワークと、これにより課題とされた仕事の生産性向上やコミュニケーション上の課題が要因となっているものと推察される。
生産性向上やコミュニケーション促進以外の機能では、「リフレッシュスペース」や「壁面緑化、植栽又は木材利用等の緑化」といった、利用者にリラックス効果を与えるものも一定の注目がみられ、特に後者の木材利用に関しては、ウェルビーイング対応の重要度が高いほど関心を示す傾向にあり、木材利用に期待される「環境負荷低減」や「対外的PR効果」と合わせ、今後、利用が促進されることが期待される(図表11)。
図表10:企業規模別 注目している
ウェルビーイング対応の設備・サービス
図表11:ウェルビーイング対応の重要度別
木材を活用したオフィスビルに期待する効果
まとめ
ウェルビーイング対応を図ったビルについて、オーナーサイド・投融資サイドともに、約半数が「将来は収益性が向上する」と期待している(図表12・右図)。また、前年の回答結果と比較すると、各ステークホルダーは、概ね20ポイント程度収益性が向上すると回答した割合が増加しており、オーナーサイド・投融資サイド双方において、ウェルビーイング対応による収益性向上への期待が更に高まっていることが窺える(図表12)。
一方、オフィスビルに関連するウェルビーイング対応について、ここまでテナント企業のものを中心にみてきたが、ステークホルダー別に比較すると、共用会議室やパウダールームはテナント企業では重要度が高い一方、コミュニケーション促進施設はオーナーサイドがより重要度が高いと回答しており(図表13)、注目する機能に意識差がみられる。このため、オーナーサイドにおいては、テナント企業の需要を汲んだオフィス環境の構築と供給を図ることが求められる。
テナント企業が求めるウェルビーイング対応の機能・設備はこれまでいくつか触れてきたところだが、具体の満足度につながる例として、オランダで行われた実証実験では、①植栽設置、②サーカディアンオフィス照明(LEDの自動調光と自動調色機能により、生体リズムに合わせ自然に近い明るさや色を演出する照明機能)、③低糖・ノンカフェイン、④仮眠やマッサージ、⑤立ち作業やフィットネス等は、「活力や幸福度、健康の向上に効果的」という結果が出ており(図表14)、これらの仕掛けをオフィス環境に導入することも検討に値する。
また、図表15は大企業を対象とした例だが、託児所・人材育成サービス・近隣飲食店等の利用優遇等、ビル外をも対象とした面的なサービスにも相応のニーズがみられることから、エリアマネジメントの観点から一帯の従業員のウェルビーイング対応を図るアプローチも期待されるところである。
図表12:将来における
ウェルビーイング対応の収益性
図表13:ステークホルダー別 注目している
ウェルビーイング対応の設備・サービス
図表14:オフィスの快適性に関する
実証実験の結果
図表15:オフィスビル内又は周辺に求める
ウェルビーイング対応の設備・サービス
(大企業のみ)
テレワークをはじめとしたコロナ禍によって拡大したワークスタイルは、アフターコロナにおいてもマネジメント等の課題を浮き彫りとし、企業は、オフィス戦略の変更により雇用環境の改善を図っていくことが想定される。雇用環境の改善について、本調査の結果からコミュニケーション促進につながる施設等、「ウェルビーイングに配慮した施設」が望まれるが、当該施設の導入は、従業員満足度の向上に限らず、人材確保に資することも期待される。人材不足の状況が今後、全国的に継続することが予測される点や、ウェルビーイング対応を図ったビルの収益性への期待の観点からも、オフィスビルにおけるウェルビーイング対応は、より一層注目が高まるであろう。また、本調査に限らず「先進的な取組事例」(図表16)等の情報も広く展開されており、ウェルビーイング対応の拡大に向け、これらが寄与することが期待される。
本稿序盤では、「わが国の政策動向」や「認証制度」、「注目される社会的背景」に触れたが、国内外の動向をみても、わが国のウェルビーイングに対する政策対応や認証制度による後押しは引き続き推進されるであろう。これらは国民の「価値観の変化」、「働き方改革」、「健康経営の推進」を更に加速させることにもつながり、オフィスビルにおけるウェルビーイング対応への需要は、より強まっていくことが見込まれる。
一方、供給サイドであるデベロッパー等のオーナーや、レンダー・投資家といった投融資サイドの観点では、ウェルビーイング対応を図ることがオフィスビルの競争力を高めることにつながるといえる。
このため、需給両面からみて、オフィスビルのウェルビーイング対応はより注目されるとともに、競争力の源泉となるため、新築でいえば対応を図ったビルの供給が拡大していくことが見込まれ、既存ビルで考えると、収益性を維持・向上するため、ウェルビーイング対応を図る改修を検討・実施する動きが増加するだろう。
図表16:健康性・快適性向上の取組事例
執筆者略歴
株式会社価値総合研究所 研究員
宮野 慎也
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官庁の地方支分部局での業務を経て、2021年より現職。主に空き家等の低未利用不動産の利活用やまちづくり関連の業務を担当。省庁等からの受託業務として、空き家対策関連の調査・コンサルティング業務、住宅取得に関する金融手法の調査業務に従事。近年は不動産市場分析に関連する業務も実施。