エムズラボ 寄稿コラム 第3回 「不動産のライフサイクルコスト」を理解するために
目次
ライフサイクルコストと部位別工事費
建築に関する工事費は新築時だけではありません。不動産として活用している運用期間は経年に応じた修繕や改修、リノベーションなどの工事費が必要となり、建物の使用を終えた後は解体撤去の工事費も発生します。また、建物には工事費以外に企画や設計をする費用や電気や水道などの運用費、清掃や警備などの保全費と建物全体を管理するための費用も必要となります。このような建物の新築から解体までの生涯を通じて必要となる費用(コスト)の総額をライフサイクルコスト(Life Cycle Cost)といいますが、その構成内容は図1に示すような氷山に例えて説明されます。新築時の建設費は水面上の氷山の一角に過ぎず、水面下には修繕費や運用費、保全費などの建物の竣工後に発生する膨大な費用が隠れています。そして不動産所有者は、それらの費用を長期にわたり管理していく必要があります。
図1 ライフサイクルコストの種類
では、それらの費用はどのように考えていけばよいでしょうか。情報源としては、工事費については過去の実績データや見積り、刊行物等の単価情報などが考えられ、運用費や保全費なども実績データが参考になりますが、いずれにせよ対象となる建物の設計内容や規模等に応じた工事費などを整理するための基礎知識や経験が必要となります。本稿ではそのようなライフサイクルコストと工事費について、不動産所有者の視点で解説していきます。
さて、前回のコラムでは総工事費と躯体や仕上げ、設備などの部位別科目との関係をお話してきました。ここでもう一度その時のデータを見てみましょう。図2は「JBCI」注1)から抽出した分譲マンション、事務所、物流倉庫、工場の東京や関東地区の標本に関する科目別工事費単価の構成内訳を説明したグラフであり建物周囲の外構工事も加えています。表1はグラフ作成に用いたデータの科目別工事費単価(円/㎡)の平均値と総額に対する構成比率を示しています。標本は2021年から2023年に契約された物件であり、単価は2024年6月時点に補正しています。
図2 用途別科目工事費単価構成比
表1 用途別科目工事費単価比較表
新築時は全ての科目の工事が発生しますが、不動産として管理していく建物は劣化状況や改修目的等に応じて部位別の科目工事を単独、あるいは組み合わせて行います。そして初期投資された金額が建物の各部位に占める比率は表から読み取ることができます。例えばマンションの平均値で考えると、全体の37.9%が躯体を調達する費用であり、外部仕上げが13.5%、内部仕上げが22.8%、電気や空調、衛生、昇降機などの設備は全体で22.8%となっています。躯体は外壁等の改修が適切に行われていれば劣化も少ないため、専ら修繕や改修の対象となる工事は仕上げや設備が主体となり、新築時に投資された約6割の工事費に関連した施工内容が追加投資の対象となります。躯体の比率は、事務所は35.8%、物流倉庫54.6%、工場は34.6%なので物流倉庫以外は、マンションと同じような追加投資の対象となる科目が考えられそうですが、内部仕上げや衛生の比率はマンションが高く、電気や空調などの設備は事務所や工場が高いなど、住宅と非住宅に投資された工事費の配分状況は大きく異なっています。また、物流倉庫や工場は外構工事の比率が高いことも特徴です。このように、修繕工事の対象となる部位の目安は新築時の情報からも概ね推測することができ、見積書からは具体的な設計内容や使用材料などの数量や仕様も読み取ることができます。
例えば、外壁が劣化した場合は外壁修繕工事を行いますが、工事に必要な足場の面積や外壁の仕様及び数量などは新築時の見積書が役立ちます。屋根防水や鉄部塗装、設備機器類の更新なども同様であり、工事費の算出に必要な基礎情報を見積書から事前に得ることができます。そのような基礎情報を参考に、修繕に必要な単価を考慮してライフサイクルコストの算定に必要な費用を推計することができます。一方、ライフサイクルコストには、修繕をいつ行うかという時間的情報も必要となります。そのためには耐用年数を理解することが大切です。
法定耐用年数と物理的耐用年数のギャップ
ライフサイクルコストは生涯コストとも訳されますが、算定する期間は任意に設定します。そのためには建物の部位に該当する耐用年数の情報を把握しておく必要があります。
耐用年数の考え方はいくつかの定義がありますが、高品質かつ長寿命化しているわが国の建物の価値は物理的な耐用年数を考えると、必ずしも適切な評価が成されている訳ではありません。その一因として法定耐用年数と物理的耐用年数のギャップがあります。不動産や金融関係の市場では、建物の耐用年数評価に関して税法上の法定耐用年数がよく使用されますが、法定耐用年数とは、減価償却資産の取得に要した金額を分割して必要経費として償却できる期間であり、物理的耐用年数と経済的耐用年数双方の耐用年数を加味した効用持続年数という概念により設定されたものです。法定耐用年数が制定された大正7年当時は物理的耐用年数で算定され、当時のRC造(鉄筋コンクリート造)の法定耐用年数は100年でした。その年数は経済的陳腐化や増税緩和、内部留保の充実、そして投下資本の早期回収等の経済的耐用年数を加味して短縮され、昭和12年には80年、昭和26年には75年に短縮。昭和41年にはマンション60年・事務所65年に改定され、平成10年にはマンション47年・事務所50年と制定時の半分の年数になりました。つまり、時代と共に法定耐用年数の目的である償却年数と物理的耐用年数に大きな開きが生じた訳ですが、用語だけは制定時の“耐用年数”ということばがそのまま使われているように感じます。不動産は経済性を重視して取引されることも多いので、償却期間に応じた法定耐用年数は実務でも重要な情報となりますが、物理的耐用年数とは別物であることを認識する必要があります。
一方、不動産を利用する視点では、物理的な耐用年数も非常に重要となります。物理的耐用年数とは、建物の部位の物理的劣化に伴う耐用年数であり、工学的判断に基づいて決定されます。そのため、同じ環境において同じ材料で造られた建物であれば同一の耐用年数となりますが、実際には設計内容や使用環境、維持修繕などの考え方は様々です。大規模修繕を適切に行えば耐用年数は伸び、何もせずに放置した建物とは寿命も異なります。そして、建物全体の物理的耐用年数は、構造(スケルトン)の耐用年数で決まります。
表2は、日本建築学会の「建築工事標準仕様書・鉄筋コンクリート工事」を参考にしたコンクリート構造躯体の利用期間に関する情報です。
表2 コンクリート構造躯体の供用期間
計画供用期間は大規模改修を行わない場合の耐用年数、供用限界期間は実施した場合の耐用年数ですが、法定耐用年数と比較するとかなり長期間であることが分かります。標準的な設計基準強度でも適切な修繕を行えば100年程度は使用できることが覗えますので、100年の利用期間を想定したライフサイクルコストによる利用計画も現在では現実的なものと考えます。
なお、耐用年数は法定耐用年数や物理的耐用年数以外にも、経済的耐用年数といった考え方もあります。経済的耐用年数は、物理的視点だけではなく市場性の視点を含めて経済的に市場性を有する期間と考えられています。建物の価値を市場性という観点で考えると実務では最も多用される考え方ですが、定量的な数値で固定することは困難です。
いくつかの耐用年数について説明しましたが、それぞれの期間としては法定耐用年数<経済的耐用年数<物理的耐用年数の関係にあり、法定耐用年数は会計上の意義、経済的耐用年数は資産上の意義、物理的耐用年数は使用期間の意義があるものと考えられます。そして、ライフサイクルコストや長期修繕計画は物理的耐用年数や経済的耐用年数を加味して算定期間を考慮していきます。注2)
部位別原価を参考にした耐用年数評価のシミュレーション
新築時に投資した工事費は、法定耐用年数に応じて償却されていきますが、耐用年数は前述のように法定耐用年数と物理的耐用年数とでは大きな隔たりがあり、不動産としての資産評価にも大きな影響を与えます。
図3は、RC造マンションの新築時の科目別工事費を法定耐用年数により減価償却させていく推移を示したイメージ図です。縦軸は各科目の工事費を一万分比で表し、横軸は築年数を示します。RC造マンションの償却期間は47年、建物附属設備は15年で設定しています。
図3 法定耐用年数による
減価償却の推移(RC造マンション)
この図からは新築時に投資された金額が償却される会計上の価値評価のイメージはよく分かりますが、同時に建物自体の資産価値も減っていくような印象が感じられます。実際には建物や設備の劣化に応じた修繕など資本的支出に結びつく投資も行われますので、その増加分も加味しなければなりませんが、建築全体の償却期間は47年で終了しますので、それ以上の長期的な会計上の価値評価は困難となります。
図4は縦軸や横軸の考え方は図3と同じですが、横軸の築年数は躯体の物理的耐用年数に対応できるように100年に延長しています。また、不動産所有者の世代交代を考慮して、取得時の年齢をイメージした経年も併記しています。償却期間は物理的耐用年数を考慮して躯体は100年、仕上げや設備は25~30年で設定しています。
図4 物理的耐用年数による
長期的試算モデル(RC造マンション)
仕上げや設備は、躯体が耐用年数を保持する100年間、使用上の支障が生じないように物理的耐用年数前に適宜大規模な修繕工事を行うシナリオでシミュレーションしていますが、このようなグラフならば、使用期間中の機能回復や物理的価値の増分が可視化されるために、建物の原価的価値評価も分かりやすくなります。考え方としては不動産鑑定評価の原価法に近いものとなりますが、年齢の推移などは所有者のニーズや世代交代など将来の使用環境を具体的に想定することもでき、建物の持続的な管理や修繕、ファイナンスなどのアドバイスに役立てることもできるのではないでしょうか。
建築コスト情報の可視化が建物の長寿命化につながる
図3や図4のように建物の金額と経年との関係を示すグラフは海外でも資産評価に使用されますが、縦軸の金額に相当する部分は”Value”、即ち“価値”として表現される場合もあります。長期修繕計画による追加投資が使用期間の長期化や機能の維持向上に貢献できることを可視化して説明することは、不動産の長期的価値(ロングタイムバリュー)の持続性にも役立ちます。そのためには、新築時からの一貫したコストに関する技術情報の蓄積や整理、分析、フィードバックが欠かせません。また、部位別の耐用年数と価値評価は国際財務報告基準(IFRS)などでも考慮されており、不動産市場のグローバル化の観点からも重視すべき情報として認識していくことが求められます。
わが国の建築市場は、かつてのスクラップ・アンド・ビルドの時代を終え、長寿命化や環境を重視するストックの時代に切り替わりました。そのため、本稿でご紹介したライフサイクルコストや部位別コストと耐用年数などの情報が、これからの不動産所有者にとっての一助となれば幸いです。
注1)
JBCI(ジャパン・ビルディング・コスト・インフォメーション)は、(一財)建設物価調査会が有料で公表している契約価格の内訳科目を用途別に統計分析した情報であり、用途や規模に応じた工事費単価情報をインターネットで提供している。https://www.jbci.jp
本稿では建設物価調査会の許諾を得て著者の責任においてJBCIデータを独自に図表に用いている。コラムに掲載されたJBCI関連の図表等の再利用や引用は禁ずる。
注2) 参考文献:橋本真一、若崎周(2020)「長寿命化時代における建築物の耐用年数と価値評価に関する一考察」『日本不動産学会2020年度秋季全国大会(学術講演会論文)』
筆者プロフィール
(株)エムズラボ 代表取締役
橋本真一
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(一財)建設物価調査会にて建設工事費や建設統計、国際比較等に関する調査研究に長年従事。並行して日本建築学会、日本建築積算協会等で建築コストや建築ストック等のマネジメントに関する研究にも参加。また、国土交通省等の官公庁や建築・不動産関連団体の各種委員会委員も歴任。2019年に建設物価調査会総合研究所部長を退職後、(株)エムズラボを設立して建築コストを主体としたコンサルティング業務に従事。
現在は芝浦工業大学非常勤講師、日本建築積算協会理事にも着任。
資格:一級建築士、一級建築施工管理技士、建築コスト管理士、建築積算士