エムズラボ 寄稿コラム 第1回 データでみる建築コスト上昇とその要因
目次
はじめに
建築に関する工事費の物価変動は、不動産所有者や投資家にとって建物調達価格に直結する大変関心のある情報です。工事費は、建設時に投入される資材や労務費などの原価と連動しており、技術的には資材や施工に関する数量とそれぞれの単価を積算して金額を推計することができます。しかし、工事の需給状況などの市場的要因、および近年ではコロナ禍やウクライナ情勢、ウッドショック、自然災害など予期せぬ外的要因の影響も受けて大きく変動しています。
本稿では、そのような様々な要因により決定づけられる工事費の現在の動向をいくつかの視点により解説してまいります。なお、工事費とは図1に示す構成になっており、総工事費に相当する税抜きの「工事価格」とその内訳となる建築や設備の様々な工事費に応じた「直接工事費」、共通仮設費や現場管理費、一般管理費等の「共通費」に大きく分けられます。そのため、本稿で説明する工事費がどの位置に対応するのかは、図1の構成を参考にしてご確認ください。
図1 工事費の構成
工事費のマクロ的な動向
まず、総工事費(工事価格)に相当する単価の時系列的動向をマクロ的に見てみましょう。図2は「建築着工統計」(国土交通省)から作成した全国の構造別工事費単価(工事費予定額を着工床面積で除した単価)の推移を示します。
図2 工事単価の推移
「建築着工統計」は、国土交通省が全国の建築物の動態を明らかにし、建築及び住宅に関する基礎資料を得るための統計データであり、建築主から提出される工事届を対象とした全数調査です。データからは建築物の着工棟数や延床面積、工事費予定額などを用途や構造別に把握することができますので、着工時の予定額ではありますが発注者が認識している相場的な価格の参考となります。
図2の傾向を見るとRC造(鉄筋コンクリート造)やSRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)は、バブル期の1991年まで上昇しその後大きく下落、2006年頃から再び上昇に転じ、2008年のリーマンショックで一時下落しましたが現在までは上昇傾向にあります。一方、S造(鉄骨造)やW造(木造)はRC造と比較して変動幅は少なく、バブル期以降は横ばい、2008年以降は再び上昇傾向にあります。このように工事費の変動傾向には構造別の違いが見られます。なお、SRC造は近年では着工量が減少しており、価格傾向も不安定になっています。
ここで注意しなければならないのが工事費単価の考え方です。建築着工統計は大きな母集団による情報ですが、公表されている数値は合計値であるために単価を単純計算すると大規模な面積の建物の影響を強く受けます。また、建築プロジェクトは個別性が強く構造だけではなく、用途や地域、建物規模、仕上げと設備のグレードなど様々な設計の仕様により工事費が異なります。したがって、構造別の単価傾向はマクロ的な視点での市況情報として考え、実際のプロジェクトに関する工事費の評価は、具体的な用途や構造などの母集団に着目して単価の傾向を確認することが重要となります。
RC造住宅(マンション)の動向
では、次に用途別の工事費の傾向を見てみましょう。図3は「建築着工統計」のRC造住宅(マンション)の全国、及び着工量の多い主要地域に関する2011年以降の工事費単価の推移です。
図3 RC造住宅(マンション)の単価の推移
(各都市別)
2023年は、全国の合計値29.4万円/㎡に対して東京は36.8万円/㎡と高額であり、神奈川や宮城も全国値を上回っています。2023年にRC造マンションに投資された工事費の全国合計は、約3兆5900億円ですが、そのうちの28.9%が東京(約1兆380億円)であり、神奈川、愛知、大阪を加えると全国の56.7%を占めています。また、各地域の単価差は、2011年時と比較すると大きくなっており、地域間の販売価格の差異と連動していることも覗えます。住宅や事務所等の建築工事費は賃料や販売価格、地価との相関性が高いことはよく知られていますが、統計値からもそのような傾向を十分確認することができます。
なお「建築着工統計」の工事単価の留意点としては、前述の大きな建物の影響以外に、建物用途による工事費予定額の構成の違いも考えられます。用途が住宅の場合は、新築工事に必要な一般的な工事科目(仮設、躯体、外部仕上げ、内部仕上げ、電気設備、空調設備、給排水衛生設備、昇降機設備、諸経費等)が全て網羅されているものと考えられます。そのため時系列的な傾向を確認する上でも、工事全体を構成する科目が比較的安定しており、地域間の差異も読み取りやすくなっています。
一方、事務所や店舗、工場、倉庫などの用途の場合は、住宅と比較すると内部仕上げや設備等の別途工事も多く、かつ近年は再開発等に伴う複合用途のプロジェクトも多いため、実質的な用途や設計内容、仕様が多岐に亘り工事費予定額も大きくバラついているのが現状です。したがって、工事費予定額による単価のトレンドを安定的に確認するには、住宅系用途による統計値が適しています。
図4は、東京における「建築着工統計」の棟数、床面積、工事費予定額、工事費単価を指数化したものです。
図4 東京のRC造住宅(マンション)
着工統計情報の推移
棟数は2017年まで下落傾向にあり、その後横ばい、床面積は2019年まで下落傾向にあり、コロナ禍の2020年以降は双方とも増加に転じています。床面積は2017年に大型物件により一時上昇していますが2018年から2019年に棟数に連動せず下落していますので、一棟当たりの平均的な規模は小さくなっていることが覗えます。一方、工事費予定額の変動傾向は2015年に棟数や床面積の下落に反して大きく上昇し、その後は床面積の動向に準じて推移していましたが2022年以降も増加傾向は大きくなっています。つまり、需要と供給による単純な要因だけでは建築工事費の物価変動は説明できない状況になっています。その結果、工事費単価は工事費予定額と同じく供給量よりも上昇傾向が強く、2011年と比較すると2023年は約1.7倍の水準に達しています。工事費単価の変動傾向は神奈川や愛知、大阪など他の地区でも同様であり、棟数や床面積などの需要とは必ずしも一致せずに上昇しています。
工事費の原価的動向
これまで「建築着工統計」のデータにより工事費単価の推移を説明しましたが、需給関係を示す着工床面積と工事費との変動傾向には乖離が見られます。そのため、工事費を構成する原価的な要因との関係も確認してみます。
図5は、東京における「建築着工統計」のRC造住宅の工事費単価と工事費の原価に関する各種公表資料との比較指数です。
図5 工事費関連情報の比較
(東京:RC造住宅関連)2011年=100
比較に用いたのは、工事価格に対応したプライス(契約価格)の傾向を示す「JBCI」(建設物価調査会)注1)、コスト(工事原価)の時系列動向を示す「建築費指数」(建設物価調査会)、資材価格の時系列動向を示す「建設資材物価指数」(建設物価調査会)、建設業従事者の賃金水準を示す「毎月勤労統計」(東京都)です。「建築着工統計」と「JBCI」の単価は、いずれも類似した変動傾向にあり、工事届に記載されている工事費予定額はプライスに近い価格水準を示していることが分かります。一方、「建築費指数」は総工事費から一般管理費等を除いた工事原価の指数であり、現場管理費以外の経費や利益等は除外されているため、建築工事に必要なコスト(原価)の傾向を示しています。「建設資材物価指数」や「毎月勤労統計」も、もちろん原価の一部となります。
図の傾向を見ると2001年から2006年までは契約価格も原価関連の情報も近似した傾向で推移していましたが、リーマンショック前は北京オリンピックなどの海外市場の影響などもありプライスは上昇、リーマンショック後は全体的に下落しました。2011年以降は震災復興や東京オリンピックなどの影響もあり、再びプライスは上昇しました。資材や労務、及び工事原価も上昇していましたが、プライスの上昇傾向とは乖離しており、建築の市場は完全に売り手市場となっています。コロナ禍やウッドショックが発生した2020年以降は資材価格が急騰していますが、労務費はさほど上昇していないように見えます。図4の傾向を見る限り実際の契約には、原価の変動よりも大きな費用を要することが覗えますが、2020年以降は原価関連の指数も高騰しておりプロジェクトのコスト管理においては月次の動向も注視する必要があります。
図6は、東京における2019年以降の「建築着工統計」の棟数、床面積、工事費予定額と工事費単価の3カ月移動平均を示します。
図6 建築着工統計の月次傾向
(東京:RC造住宅)2019年3月=100
3カ月移動平均
「建築着工統計」の単月データは件数も少なくなるためデータのバラつきが大きくなります。そのため本稿では3カ月間の移動平均値により時系列の変化を分かりやすくしています。図からは棟数や工事費が全体的に増加傾向にあり、工事費単価も明確に上昇している傾向が直近のデータからも読み取れます。2022年3月頃までは床面積と工事予定額は一致した変動傾向にあり工事費単価も横ばいで推移していましたが、2022年6月以降は工事費予定額が床面積に対して上振れしており、工事費単価も上昇している傾向が読み取れます。
図7は、図6の工事費単価と建築費指数の工事原価との比較を示します。
図7 工事費単価と工事原価指数の月次傾向
(東京:RC造住宅)2019年3月=100
2022年3月以降は工事費単価と比較して工事原価の指数は著しく増加して変動に乖離が見られていますが、2023年5月以降は工事費単価も急騰して2023年11月以降は工事原価と同じ水準の傾向となっています。このことから原価上昇分が工事費予定額に転嫁されたことが読み取れます。その結果、コストとプライスの原価的な乖離は少なくなっていることが分かります。海外では、このようなコストとプライスとの関係を示した指数を、Market Condition Index(市況指数)として日常的に利用していますが、わが国でも本稿で示すような情報から作成することは可能であり、直近の市況動向を想定する上で役立ちます。
まとめ
建築は個別性が強く、かつ市場や社会経済の影響も受けるため工事費のコストやプライスは常に変動します。本稿では「建築着工統計」のデータを中心に、工事費単価の時系列傾向や価格変動要因等の説明をいたしましたが、統計値から得られる傾向は市況を把握する上での目安となります。しかし、実際のプロジェクトにおいては工事費のウエイトが高い主要工事細目などは、具体的な施工数量と単価による概算を行い、推計精度を高めた価格評価を行うことも重要となります。
2024年4月からは建設業の時間外労働の上限規制が適用され、若手技能者の養成や賃金アップなどの建設業の働き方も大きく改善されていきます。運搬費や資材価格も上昇傾向にあり、当面は建築工事費の水準が下落することは考えにくく、統計値はもとより直近の実績データ分析等により、適切にコスト管理を行うことが不動産ビジネスには求められていくものと考えます。
注1)
JBCI(ジャパン・ビルディング・コスト・インフォメーション)は、(一財)建設物価調査会が有料で公表している契約価格の内訳科目を用途別に統計分析した情報であり、用途や規模に応じた工事費単価情報をインターネットで提供している。https://www.jbci.jp
本稿では建設物価調査会の許諾を得て著者の責任においてJBCIデータを独自にグラフに用いている。コラムに掲載されたJBCI関連の図表等の再利用や引用は禁ずる。
筆者プロフィール
(株)エムズラボ 代表取締役
橋本真一
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(一財)建設物価調査会にて建設工事費や建設統計、国際比較等に関する調査研究に長年従事。並行して日本建築学会、日本建築積算協会等で建築コストや建築ストック等のマネジメントに関する研究にも参加。また、国土交通省等の官公庁や建築・不動産関連団体の各種委員会委員も歴任。2019年に建設物価調査会総合研究所部長を退職後、(株)エムズラボを設立して建築コストを主体としたコンサルティング業務に従事。
現在は芝浦工業大学非常勤講師、日本建築積算協会理事にも着任。
資格:一級建築士、一級建築施工管理技士、建築コスト管理士、建築積算士