企業経営者に向けたCRE戦略概論 第1回 CRE戦略の企業経営における位置付けと役割
目次
Speaker
ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員/明治大学経営学部 特別招聘教授百嶋 徹 氏
高まるCRE戦略の重要性
CRE(Corporate Real Estate)とは、企業が事業を継続するために使うすべての不動産を指す。これを重要な経営資源の一つに位置付け、その活用、管理、取引(取得、売却、賃貸借)に際し、企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)を踏まえた上で、企業価値最大化の視点から最適な選択を行う経営戦略がCRE戦略だ。
合理的な企業経営を実践する経営トップにとっては、特に目新しい概念ではなく定石的な経営戦略ではあるが、企業を取り巻く環境変化の下でその重要性が高まっている。
外国人持ち株比率の上昇や物言う株主の台頭、さらにはCREの所有価値に着目した敵対的買収の増加など資本市場での変化、固定資産の減損会計適用(注1)といった会計制度の変化を背景に、経営トップは事業を通じてCREの利用価値に見合った活用を行い、自社の株価にその資産価値を反映させることが重要になっている。CREを有効活用して十分なキャッシュフローを創出し企業価値を最大化すれば、敵対的買収にも遭いにくく、時価会計にも自ずと対応できるはずだ。また、内部統制強化の要請への対応からも、バブル崩壊による「土地神話」の崩壊以降、価格変動リスクを抱えるようになったCREについて、適切なマネジメント体制を構築することが必要になっている。
筆者はCRE戦略の重要性をいち早く主張し、調査研究活動を通じて微力ながらその普及啓発に努めてきた。その後、国土交通省では2006年に「企業不動産の合理的な所有・利用に関する研究会(CRE研究会)」(注2)を立ち上げ、CREの現状・課題や今後のあるべきCRE戦略について検討し、2008年に『CRE戦略を実践するためのガイドライン・手引き(初版)』(注3)を公表した。マスコミでは、日本経済新聞社が2007年から特集企画にてCRE戦略を取り上げ、また事業会社の不動産管理実務者等を対象としたセミナーを開催するなど、情報発信や普及啓発で先駆的な役割を果たしてきた。さらに、不動産会社やコンサルティング会社がアドバイザリー業務、IT ベンダーが不動産管理のためのIT ツールの提供といった、CRE 戦略支援ビジネスを立ち上げている。
その結果、CRE 戦略という言葉は産業界に広まりつつあるが、適切なマネジメント体制の下で組織的に取り組む企業はまだ少ないように思われる。
経営資源の全体最適化行動とCRE戦略の位置づけ
企業はCSRを実践しつつ、結果として利益最大化を図らなければならない。企業の利益は事業ポートフォリオ、立地、設備投資、研究開発(R&D)、知的財産管理、資材調達、生産管理、マーケティング、企業財務、人的資源管理(HRM:Human Resource Management)、CRE、ファシリティマネジメント(FM)、ITなどあらゆる経営資源を変数とする関数と見なせる。
さらに、企業のあるべき利益最大化行動は、経済学的に言えば、CSRという制約条件付き利益最大化問題における、あらゆる経営資源の全体最適解を求めることだ。すなわち、利益最大化を図るには、個々の戦略の部分最適ではなく、CSRの視点を踏まえた上で経営資源の全体最適化を図る必要がある。CRE 戦略も不動産だけの部分最適ではなく、この経営資源の全体最適化行動の中で決定しなければならない。
経営戦略は、社内に専門的・共通的な役務を提供し企業活動を支える「シェアードサービス(Shared Service)型」と、R&D・生産・販売などの事業戦略を担う「バリューチェーン(Value Chain)対応型」に分けられる。CRE戦略は経理・財務、人事、ITなどとともにシェアードサービス型に分類できる(図1)。シェアードサービス型の戦略は、企業経営にとって不可欠な要素だが、それのみでは機能しない。上位概念に位置するバリューチェーン対応型の戦略と整合性が取られて初めてシナジーを生む。
企業は利益最大化を図るために、まず強化すべきコア事業、維持すべき事業、縮小・撤退すべきノンコア事業を区分し、またバリューチェーンのどの業務工程に重点を置くかも決めて、明確な事業ポートフォリオ戦略を構築することが不可欠だ。さらに、バリューチェーン対応型戦略とシェアードサービス型戦略の整合性を取って、経営資源の全体最適化を図る必要がある。そして、これらの一連の利益最大化プロセスを実行する上で、CSRの視点を踏まえることが極めて重要となる(図1)。
シェアードサービス型戦略の一翼を担うCRE戦略では、経営層や事業部門など「社内顧客」に不動産サービスを提供する「社内ベンダー」であるとの発想が必要となる。
(注1)2004年3月31日から2005年3月30日までに終了する事業年度から早期適用が認められ、2005年4月1日以後開始する事業年度から強制適用された。3月期決算であれば、2004年3月期(03年度)から早期適用が認められ、2006年3月期(05年度)から強制適用された。
(注2)2006年度に開催された国土交通省CRE研究会の事務局は、ニッセイ基礎研究所が担当した(筆者がプロジェクトマネージャーを担当)。
(注3)初版および改訂版は以下のURLを参照されたい。筆者はWG委員として「事例編」の執筆を担当した。
https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_tk5_000113.html
最新の書籍版は、国土交通省 合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会)編著『CRE戦略実践のために ─2010改訂版─』住宅新報社2010年。
シェアードサービス型戦略としてのCRE戦略の役割
シェアードサービス型戦略としてのCRE戦略の役割は3つある。1つは日々の事業活動における不動産のニーズや問題点に対するソリューションの提示である。
2つ目は、中期的な経営戦略の遂行をサポートするための不動産マネジメントの立案・実行であり、これを筆者は「マネジメント・レイヤーのCRE戦略」と呼んでいる。中期経営計画において経営トップが掲げるコミットメント事項をCRE戦略に翻訳し、CREの実行戦略に落とし込むことが重要となる。経営層の意思決定に資するマネジメント・レイヤーのCRE戦略を構築することこそが、CRE戦略のコア機能であり、最も重要な業務だ。この戦略構築のための意思決定は外部委託できるものではなく、社内のCRE 部門が行うべき業務である。
経営のコミットメントの中には、一見するとCRE戦略と関係が薄いように思われるものもあるだろうが、CRE部門ではすぐに「関係ない」と判断するのではなく、経営のコミットメントとCREの関係性を徹底的に考え抜き、マネジメント・レイヤーのCRE戦略を導き出す努力を怠らないことが何よりも重要だ。
社内のCRE部門にとって、さらにもう1つ重要な業務は、外部の不動産サービスベンダーとのインターフェースを担って、社内の事業部門のニーズと外部ベンダーのサービスをつなぐ「リエゾン(橋渡し)機能」を果たすことだ(図1)。不動産サービスベンダーを使いこなす「ベンダーマネジメント機能」と言い換えることもできる。CRE戦略には不動産や建築分野にとどまらず、経営戦略、コーポレートファイナンス、会計、税務、IT、HRMなどを含む高度な横断的専門知識が必要になるため、戦略的パートナーたりうる外部の専門機関の力を借りつつ、それらをコーディネートして、より高度なCREソリューションを社内顧客に提供していくことが求められる。
社内CRMとベンダーマネジメントの重要性
社内のCRE部門がリエゾン機能を十分に果たすためには、経営層、事業部門、従業員など不動産サービスの「社内顧客」から、不動産に関わる問題意識やニーズを的確に吸い上げることが不可欠だ。外部の不動産サービスベンダーが素晴らしいサービスメニューを持っていたとしても、CRE部門が社内の不動産ニーズを十分に把握し、そのニーズに対応するために社内に不足している知見・サービスを明確に特定した上で、外部ベンダーにサービス内容を発注しなければ、よりよいCREソリューションをコーディネートすることはできないためである。
その意味で、社内顧客の不動産ニーズを十分に把握し、社内の顧客満足度(CS:Customer satisfaction)の向上につなげるための社内顧客との関係構築、言わば「社内CRM(Customer Relationship Management)」が極めて重要となる。社内CRM機能とベンダーマネジメント機能は、社内のCRE部門が果たすべきリエゾン機能の「クルマの両輪」を成すと考えられる(図2)。
このクルマの両輪がうまくかみ合うためには、社内CRMでは社内顧客とCRE部門、ベンダーマネジメントでは外部ベンダーとCRE部門の間の信頼関係・人的ネットワークが十分に醸成されていることが必要だ。各々の信頼関係・人的ネットワークが十分に醸成されるためには、社内CRMでは社内顧客とCRE部門の間のインフォーマルなコミュニケーション、ベンダーマネジメントでは外部ベンダーとCRE部門の間の戦略的パートナーシップの各々構築・深化が重要となるだろう。
インテルのFM部門では、2007年頃から、これまでのコスト・効率重視から転換し、FMサービスの品質や顧客満足度とのバランスをとることが強調され始め、この流れはその後加速し、現在はホスピタリティビジネスの一流企業とのベンチマークや、顧客サービスに特化したリーダーシップ研修なども行われている(注4)。そして究極の目標は、顧客である社員への「WOW」体験の提供であるという。WOWというのは、特に良い意味で驚いた時に欧米人が発する感嘆の言葉であり、そのような驚きや喜びをファシリティやオフィス・サービスの提供によってもたらすことを目指しているという。最終的には、それにより社員のモチベーションを上げ、イノベーションを促進して持続的な成功を収めていくことが目的だ。
また、日々のサービスを提供する上で一番多く社員と接点を持っているのは、FM業務を委託しているサプライヤーであるため、「WOW」体験の提供にはサプライヤーとの関係も重要であると考えられている。サプライヤーに対して、対等なパートナーシップを維持するために努力と注意が払われ、「WOW」体験を提供することの意義への理解・実践をサプライヤー側にも求めているという。
このようにインテルのFM部門は、信頼関係・人的ネットワークを重視した社内CRMとベンダーマネジメントを構築・実践する先進事例である。
(注4)インテルに関わる以下の記述は、大森崇史(インテル株式会社)「サービスは、そしてFMは世界を変えられる」『JFMA JOURNAL』2013 SUMMER №171に拠っている。
監修者
ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員
百嶋 徹
1985年野村総合研究所入社、証券アナリスト業務および財務・事業戦略提言業務に従事。野村アセットマネジメント出向を経て、1998年ニッセイ基礎研究所入社。企業経営を中心に、産業競争力、産業政策、イノベーション、CRE(企業不動産)、環境経営・CSR(企業の社会的責任)などが専門の研究テーマ。公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。1994年発表の日経金融新聞およびInstitutional Investor誌のアナリストランキングにおいて、素材産業部門で各々第1位。2006年度国土交通省CRE研究会の事務局を担当。国土交通省CRE研究会ワーキンググループ委員として『CRE戦略実践のためのガイドライン』の作成に参画、「事例編」の執筆を担当(2008~10年)。公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会(JFMA)CREマネジメント研究部会委員(2013年~)。明治大学経営学部特別招聘教授を歴任(2014~2016年度)。共著書『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』(東洋経済新報社、2006年)で第1回日本ファシリティマネジメント大賞奨励賞受賞(JFMA主催、2007年)。CRE戦略の重要性をいち早く主張し、普及啓発に努めてきた第一人者。