知られざる東京の住宅街 大和郷(やまとむら)岩崎(弥太郎)一家、首相も住んだ街

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東京・文京区といえば、東京大学、東京医科歯科大学、お茶の水女子大学ほか数々の大学がある文教地区として名高いが、広尾や松濤などに肩を並べる由緒と気品を備えた住宅街がある事をご存知だろうか。
「江戸の二大庭園」に数えられた六義園を中心とするその一画は「大和郷(やまとむら)」と呼ばれ、古くは武家屋敷が立ち並び、近代に入ると岩崎弥太郎ら旧三菱財閥の要人も居を構えた。住居表示にその名は無いが、現在も「大和郷」の歴史と気品は受け継がれている。正に知る人ぞ知る高級住宅街である「大和郷」とはどのような街であろうか。

住居表示にも無い「大和郷」 六義園を中心とする文京区本駒込6丁目

「大和郷」は東京都の所有する庭園「六義園」を中心に、本郷通り、不忍通り、白山通りに囲まれた一帯を指し、住居表示は文京区本駒込6丁目となる。駅で言うと、JR山手線の巣鴨駅から駒込駅にかけての内側エリアである。

大和郷の由来は、中心となる六義園と深い関わりがある。六義園は徳川五代将軍綱吉の側用人であった柳澤吉保が1695年に土地を与えられた事に端を発する。7年の歳月をかけて1702年に完成させた造園は六義園と名付けられ、小石川後楽園と並ぶ江戸の二大庭園に数えられた。その後、柳澤家は大和郡山へ転封となるが、六義園を下屋敷としてそのまま使用したため“大和”の名が残ったのだ。

大和郷は加賀藩前田家が武家屋敷を構えるなど、古くから由緒ある土地であった。そんな大和郷と深く関係があるのが旧三菱財閥である。

丸の内にアクセスがよく、三菱関係者が多く住んだ

江戸時代が終わると、六義園は明治新政府に返上された。そんな六義園を1878(明治11)年に購入したのが、旧三菱財閥の祖として知られる岩崎弥太郎氏だ。同氏は六義園の復興、修築に力を注いだ。また、その一帯の土地を購入し、整備するだけでなく、別宅も構えた。

その後、旧三菱財閥三代総帥である岩崎久彌氏は1922(大正11)年に六義園周辺の土地を大和郷として分譲し、近代的住宅地を作る事を始めた。目的は東京市の発展のためである。分譲は3回に渡って行われた。なお、岩崎久彌氏は所有していた六義園は1938(昭和13)年に東京市へ寄贈している。

分譲が行われた大和郷であるが、一区画150~300坪の分譲地を購入したのは旧三菱合資会社の関係者であった。大和郷は丸の内へのアクセスも良いことから、かつて三菱関係者が多く住んでいた。

歴代首相も3人居を構えた

過去、大和郷には多くの著名人が居を構えている。岩崎弥太郎の娘を妻とした第24代首相加藤孝明、第25・28代首相若槻礼次郎、岩崎家の縁戚である第44代首相幣原喜重郎と歴代首相が3人も住んでいる(以上故人)。

2017年1月には、「大和郷」の中でも、六義園に面する一等地に立つ286坪の豪邸が売り出された事も話題となった。その価格は40億を超えていた。元は企業家の邸宅であったが、相続を経て所有者が変わり、2015年に建替えられたものの、その後何らかの事情により、再度売りに出されたようである。豪邸の売却も然る事ながら、その価格の高さが「大和郷」の名を知らしめる事となった。

そんな大和郷の秩序を保っているのが「大和郷会」と呼ばれる住民組織だ。実質的な町内会の役割だが、同会は一般社団法人であり、町内会を一般社団法人が運営している珍しいケースだ。会の歴史は古く、初代会長は第25・28代首相である若槻礼次郎氏だ。

活動は一般的な町内会と同じだが、社交会のような役割も果たしているのかもしれない。

邸宅が立ち並ぶ閑静な住宅街・大和郷。武家屋敷に始まり、旧三菱財閥が整備した大和郷は、住居表示にこそ名は残っていないものの、歴史と気品は現在まで受け継がれている。

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