企業経営者に向けたCRE戦略概論 
第5回 CRE戦略と企業財務との整合性 前編

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Speaker

ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員/明治大学経営学部 特別招聘教授百嶋 徹 氏

企業価値を最大化させるためには、個々の戦略の部分最適ではなく、CSR(企業の社会的責任)の視点を踏まえた上で経営資源の全体最適化を図る必要があり、CRE戦略もこの全体最適化の中で決定されるべきであると第1回のコラムで指摘した。CRE戦略では、とりわけ企業財務とのバランスの下で意思決定を行うことが不可欠である。そこで本コラムでは、今回と次回の2回に分けてCRE戦略と企業財務との整合性について取り上げ、今回は基本的な考え方に言及した上で、事例分析として製造業のキヤノンを取り上げたい。

財務体質により異なる最適なCRE戦略

合理的なCRE戦略が企業財務とのバランスの下で意思決定されるということは、企業の収益力や財務安全性など財務体質によって最適なCRE戦略が異なってくることを意味する。

例えば、ある企業において将来の事業規模に対して土地が不足している場合、財務体質が良好であれば土地を取得することも可能である一方、財務状況が厳しければ借地を選択せざるをえないだろう。一方、遊休地を抱えている場合、財務状況が良好であれば、必ずしも売り急ぐ必要はなく、場合によっては賃貸を選択することも可能であるのに対して、財務状況が厳しいケースでは、借入金返済や決算対策のために一刻も早い売却を選択することが望ましいであろう。

あるべき戦略は、かつての財テクのように土地取得ありきでもなく、オフバランス化ありきで「持たざる経営」を一方的に推進することでもない。あるべき戦略には、「企業財務とのバランスの下でCRE戦略を意思決定する」という原理原則しかなく、各社が自社の経営資源に見合った最適解を選択しなければならず、最適解は一つではない。とりわけ財務体質が良好でリスク許容力が高ければ、幅広い戦略オプションの中から、ハイリスク・ハイリターン型の選択も可能となる。

第3回のコラムで指摘したように、企業財務との整合性が取られている限り、不動産の所有・賃借の選択は大きな問題にならないと考えることもできる。例えば、オフィス戦略の場合であれば、財務体質との整合性が取られている限り、問題とすべきはオフィスの所有・賃借の選択ではなく、従業員の創造性を引き出すオフィスづくりの巧拙だ。

企業の財務状況によって最適なCRE戦略が異なってくる事例は、不動産の所有と賃借、賃貸と売却の選択以外にも考えられる。例えば、企業の収益力ひいては賃料負担力によって、最適な賃貸ビルの選択が異なってくることが挙げられる。ある企業がオフィス移転に際して賃貸ビルへの入居を計画している場合、当該企業の収益性が高く賃料負担力が高ければ、好立地の東京都心部に立地する最新鋭のハイスペックを備えた高賃料の新築Aクラスビルに入居することも可能である一方、収益性が低く賃料負担力が低ければ、交通の利便性やオフィスの使い勝手が相対的に低下するが、都心部以外に立地する賃貸ビルやグレードを落とした賃貸ビルに入居せざるをえないだろう。このように収益力=賃料負担力によって、選択できる賃貸ビルのロケーションやグレードも異なってくると考えられる。

事例分析:キャノン

キヤノンは製造業では極めて珍しく、2000年代に地価の高い首都圏の土地を積極的に取得した。我が国製造業の勝ち組企業と評される同社だが、所有土地の資産規模(単体ベース簿価)は、1990年代前半まで大半の大手電機メーカーに比べ小さかった(図表1)。しかし90年代後半以降、大幅な収益向上により群を抜く強固な財務体質を構築し、2000年前後より積極的な土地取得に動き、足下では電機大手を大幅に上回る土地資産を確保している。

特に2002年以降、研究開発拠点の整備・集約化のために、本社(東京都大田区下丸子)の隣地や周辺(川崎市)など、これまで不足していた首都圏の土地を取得した。単体ベースの土地取得累計額は、94年から2001年までの8年間では325億円(年平均40億円)であるのに対し、2002年から2009年までの8年間では932億円(年平均117億円)にも達する(図表2)。

このうち、東芝から取得した柳町(川崎市幸区)の用地が最大の物件であり、当該用地には生産装置・金型の研究開発および生産を行う川崎事業所を2007年に開設した(図表2)。川崎事業所の土地勘定は簿価が約243億円、敷地面積が約11.5万㎡であるため、坪単価は約70万円に上る。矢向(川崎市幸区)の取得用地には、インクジェットプリンタ関連の開発を担う矢向事業所を2004年に開所した。矢向事業所の土地勘定は簿価が約127億円、敷地面積が約4.2万㎡であるため、坪単価は約99万円に達する。隣地が買い増された本社では、土地の簿価が約370億円に達し敷地面積が約11.5万㎡であるため、坪単価は約106万円にも上る。本社敷地の拡張部分には、新規事業開拓に向けた基礎研究機能を集約するため、121億円を投じて2005年に先端技術研究棟を開設した。

一方、同社の株主資本比率(連結ベース)は、2001年末以降一貫して50%を超えており、直近の2015年末では67%に達している(図表2)。このように強固な財務体力を有するため、地価の高い首都圏の土地を取得・所有するリスクを取れると考えられる。同社は財務戦略とのバランスを取りながら、本社周辺の用地を相次いで取得し、2004年から2007年にかけて研究開発拠点の整備・集約化を一挙に進めた。

基礎研究機能を集約した先端技術研究棟に加え、インクジェットプリンタの開発部門を集結させた矢向事業所、生産技術の研究開発部門を集結させた川崎事業所は、いずれも本社に近接して立地させている。企業の将来成長を左右する研究開発機能にとって、本社との近接性は重要であり、経営トップの目が届きやすいところに立地する意義は大きい。研究開発機能の集約が図られていることと併せ、定石通りの戦略が打たれている。

また、技術者・エンジニアが都市圏での勤務を好む傾向が強まっていることや、都市圏の自治体が高度先端産業の集積に向けて研究所の誘致に注力していることから、産業界で研究開発拠点の都心回帰が起こっている面もあると考えられる。同社の事例は、CRE戦略が財務戦略に加え、立地戦略と人材戦略にもかなっていると評価できる。

なお、研究開発拠点の集約化が一段落した2008年以降の土地取得は、地方圏での工場建設プロジェクトなどのための土地の先行取得に限定した動きとなっており、土地取得がほとんど行われない年も散見される(図表2)。

図表1 キヤノンと大手電機メーカー:土地資産の推移(単価ベース簿価)
図表2 キヤノン:土地取得額・株主資本比率の推移と主要な事業所の開設の変遷

強固な財務体質の下で一気呵成に進めるハイリスク・ハイリターン型のCRE戦略

キヤノンは2000年代前半に強固な財務基盤を背景に、地価の高い本社周辺の土地を相次いで取得し、そこで基礎研究、生産技術開発、インクジェットプリンタ開発といった同社にとって極めて重要な研究開発機能の拠点集約を図ることで、中核的な研究開発拠点について本社との近接立地を一挙に実現することができた。

強固な財務体質の下では、リスクの高い投資プロジェクトの実施が可能となるため、競争優位をもたらす抜本的な経営施策を一気呵成に進めうることを示している。しかし、折角強固な財務体質を有していても、同業他社に対する横並び意識や保守的な投資スタンスが強過ぎると、価値ある投資プロジェクトが積極的に実施されない可能性もある。企業の存在意義となるべき「社会的価値の創出」に向けた投資をやり抜く強い使命感や気概も欠かせない。

監修者

ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員

百嶋 徹

1985年野村総合研究所入社、証券アナリスト業務および財務・事業戦略提言業務に従事。野村アセットマネジメント出向を経て、1998年ニッセイ基礎研究所入社。企業経営を中心に、産業競争力、産業政策、イノベーション、CRE(企業不動産)、環境経営・CSR(企業の社会的責任)などが専門の研究テーマ。公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。1994年発表の日経金融新聞およびInstitutional Investor誌のアナリストランキングにおいて、素材産業部門で各々第1位。2006年度国土交通省CRE研究会の事務局を担当。国土交通省CRE研究会ワーキンググループ委員として『CRE戦略実践のためのガイドライン』の作成に参画、「事例編」の執筆を担当(2008~10年)。公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会(JFMA)CREマネジメント研究部会委員(2013年~)。明治大学経営学部特別招聘教授を歴任(2014~2016年度)。共著書『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』(東洋経済新報社、2006年)で第1回日本ファシリティマネジメント大賞奨励賞受賞(JFMA主催、2007年)。CRE戦略の重要性をいち早く主張し、普及啓発に努めてきた第一人者。

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