はじめに

2013年に東京国立博物館で開催された「京都ー洛中洛外図と障壁画の美」展には約28万人が足を運び、洛中洛外の名品、龍安寺石庭のリアルな映像に圧倒された。琳派誕生400年となった2015年には各地で関連した展覧会が開かれ、京都国立博物館での「琳派 京を彩る」には約33万人が来場、そして2016年の東京都美術館で開催された「若冲展」には約44万人が訪れ、若冲人気を不動のものとした。

なぜこうも京都、そして京都で生み出されたものに、人々は魅せられるのだろうか。それは、千年の都として、日本の歴史と文化の要であり、数々の社寺、史跡などを有し、文化財、美術品の宝庫だからだろうか。それだけではない、なにか見えざるものが京都にはあるのかもしれない。

京都には200館を超える博物館・美術館(※)があるが、その中で代表的な存在と言えるのが『京都国立博物館』だ。今回はライターとしてファッション系メディアで活躍している時岡碧さんと一緒に、「京博」として京都市民に親しまれている京都国立博物館の歴史とその魅力を探る。

※京都市内博物館施設連絡協議会加盟の博物館・美術館


日本国内に数体あるオーギュスト・ロダンの「考える人」だが、京博の庭にある「考える人」を思い浮かべる人も多いはず

開館120周年を迎えた「京博」

京都国立博物館は2017年に開館120周年を迎えた。1897年(明治30年)に「帝国京都博物館」として開館して以来、古都・京都を中心とした寺社仏閣などの貴重な文化財の保護を目的に、保存から収集、研究、展示を進めてきた。紆余曲折を経て、現在は東京・奈良・九州の3館とともに国立博物館の一翼を担い、日本文化を代表する美と歴史の都である京都の文化財を護る砦として、他にはない存在感を放っている。

120周年という節目にあたり、同館では「京都」という伝統文化を継承する地にあることを重視し、「文化財を譲り伝える」「文化財を護る風土を育む」拠点として、さらに「開かれた博物館」として、愛され、利用される博物館を目指すことを掲げている。折しも文化庁の京都移転が決まり、今後の文化財行政において同館が果たす役割に大いに期待がかかっている。


いつ訪れても重要文化財や国宝といった日本の至宝と出会うことができる。写真は「特集陳列 生誕300年 伊藤若冲」(2016年12月13日~2017年1月15日)の展示の様子

平成の顔、平成知新館

京都国立博物館は東山七条という京都駅から比較的アクセスのよいところに立地している。JRや私鉄の駅からも近く、京都駅から頻繁に出ている東山や祇園といった観光ポイントへ向かう、多くのバスの通り道という恵まれた場所にある。南隣に位置している蓮華王院 三十三間堂の南大門から同館を見て、「南北に伸びる三十三間堂の回廊塀の先、真正面に京博の南門があって、その軸線上に平成知新館が見えるんです。無機質のようでいて、和を感じる建物を見た時に、建築家の意図に見事にはまった感じがしました」と時岡さん。


三十三間堂に面した南門からまっすぐにのびる通りの先に立つ平成知新館。京博の新しい顔だ

平常展示館として2013年に開館した平成知新館は、世界的に著名な建築家・谷口吉生氏の設計による京博の新しい顔だ。敷地内にある1895年(明治28年)に竣工した宮内省内匠寮技師・片山東熊博士設計のフレンチルネッサンス様式を取り入れた明治古都館(現在休館中)と比較して、平成知新館はシンプルで近代的なデザインで、造形や意匠上では対比的な建築が意図されているものの、庇や軒の高さは明治古都館と合わせてあり、関係性が強調されている。また、柱と梁の軸組みによる表現や水平に延びる佇まい、薄明かりによる採光、非対称性による構成など、日本的空間構成の根源的な要素を強調しており、そこから和を感じることができる。

実はこの平成知新館は豊臣秀吉・秀頼父子と縁深い方広寺の遺構の上に建っている。方広寺とは豊臣秀吉が1586年(天正14年)に創建した寺で、六丈の木像大仏を安置した大仏殿があった、その姿は江戸時代の洛中洛外図に描かれている。「大坂の陣」で徳川家康が豊臣家を討ち滅ぼすきっかけを作った梵鐘が収められるなど、歴史の表舞台として記憶されている場所だ。同館建設にあたって、旧平常展示館の周囲の発掘調査が行われ、方広寺を囲む石垣の南辺基礎部分と回廊の柱跡、そして南門の跡などが見つかった。現在、石垣の一部はそのまま残され、南門と回廊の柱跡には金属製の円環が設置されており、往時を偲ぶことができる。


平成知新館の前に連なる石垣は方広寺の遺構の一部とそれを再現したもの


平成知新館のエントランス右手にある水盤の中には方広寺の回廊の門柱跡に円環が設置されている