企業経営者に向けたCRE戦略概論 第10回 BCPとCRE戦略(2)

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Speaker

ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員/明治大学経営学部 特別招聘教授百嶋 徹 氏

前回のコラムでは、企業のBCP(事業継続計画)強化の対策について、工場を例にとって、CRE戦略と関連付けた考察を行ったが、今回のコラムでは、本社などオフィスビルのケースについて概略的に触れることとする。さらに、前回と今回の議論を踏まえて、全体のまとめを行い、BCPの本質的な在り方について考えてみたい。

オフィスビル:本社機能の東京一極集中からの分散は進まず

オフィスビルの選択基準において、所有・賃借を問わず、東日本大震災以降、ビルの耐震性能、省エネ性能、自家発電機能の装備()、地盤の強さなど安全性・BCPの要因が重要な条件として追加されたり、これまでより強く意識されるようになったとみられる。

ただし、オフィスビルの合理的な選択は、BCP要因のほか、顧客など関係先との近接性や交通アクセス(従業員の通勤アクセス等)といった立地要因、賃料・地価、建築コストなどのコスト要因、収容人員数に応じた必要なオフィス規模の確保、入居時期、自社の財務状況、事業の成長ステージに応じたオフィス規模のフレキシビリティ、オフィスづくりの自由度など複数の要因を総合評価して決定されるため、工場のケースと同様に企業によって最適解は異なってくるはずだ。例えば、液状化リスクのみに重点を置き、他の要因を捨象して、何が何でも地盤が強固な場所にオフィスを移転するというような意思決定は、合理的ではないだろう。

東日本大震災直後の首都圏での通信・交通手段の機能不全や原発事故に伴う様々なリスクにより、東京一極集中のリスクを強調する考え方が一時台頭したものの、金融系や外資系企業などでのリスク分散を勘案して関東圏外にバックアップオフィスを確保する動きは、ごく一部にとどまり、東京に本社機能を持つ多くの企業は東京の機能分散に動かなかった。BCPは勿論重要な要素だが、オフィス選択の意思決定はそれのみではなされないことを示しているように思われる。

ただし、東日本大震災後にオフィスを移転集約する場合には、BCP要因が強く働きやすくなった面はある。例えば、元々移転を検討・計画していた企業が、BCPに対応できる設備仕様や立地条件などを考慮して移転先を見直したり、老朽化した自社ビルに入居していた企業が、新たに制震・免震構造のビルに建て替えたり、ビルを売却して最新の防災機能を持つ新築賃貸ビルへ移転する事例は都内で散見される。

まとめ①:マニュアル・文言を超えた危機対応能力の醸成が重要

前回のコラムで紹介した通り、富士通では、東日本大震災により福島県のデスクトップPCの工場が被災したが、BCPに従って島根県のノートPCの工場で迅速に代替生産が行われた。危機への迅速な対応により供給責任を果たそうとするスタンスは、顧客からの信頼をより高める結果になったと言える。

一方、一部の外資系企業は、東日本大震災直後にいち早く外国人従業員の西日本・海外への一時退避や本国への帰国、関東圏での一時業務休止などに動いた。社内のBCPマニュアルに従った行動と推測されるが、これにより、震災直後で動転し大混乱に陥っていた東日本在住の顧客からの問い合わせやニーズに対応できなかったのであれば、失った顧客の信頼を挽回するのは難しいだろう。

想定外の危機に直面する中、杓子定規にBCPマニュアルの文言通りに行動して顧客の信頼を失うなら、中長期の事業継続性や企業価値を棄損することになり、それでは本末転倒だろう。初動対応の手順・段取りをBCPでしっかりと定めておくことは勿論重要だが、想定外の緊急事態においては、BCPのマニュアル・文言など形式を超えた、状況に応じた柔軟かつ臨機応変な判断力・対応力が問われる。

経営トップは、このような判断力・対応力を備えた人材を育成し、中長期の事業継続性確保のために危機対応能力を磨く企業文化を根付かせることが何よりも重要だ。そうすれば、経営トップと従業員の間に信頼感が醸成され、想定外の危機において取られた現場のボトムアップの判断がBCPのマニュアル・文言を超えたものであっても、経営トップは現場の従業員を信頼してサポートすることができるし、従業員も経営トップが現場の判断を尊重・支援してくれるとの安心感から迅速な対応に専念できるだろう。

まとめ②:リーン型経営から組織スラックを備えた経営への転換が求められる

我が国の大企業の多くは、外国人投資家の台頭や四半期業績の開示義務付けなど、資本市場における急激なグローバル化の波に翻弄され、2005 年前後を境に株主利益の最大化が最も重要であるとする「株主至上主義」へ拙速に傾いた、と筆者は考えている。

我が国企業の強みの源泉は本来、株主だけでなく、従業員、取引先、顧客、地域社会など多様なステークホルダーに配慮してCSR(企業の社会的責任)を果たす、長期志向の経営にあったはずだが、皮肉にもCSRという言葉が急速に広まった2005年前後を境に、短期志向の株主至上主義経営が台頭することになった。目先の利益追求を優先する企業経営のショートターミズム(短期志向)の台頭は、企業不祥事を引き起こす温床にもなりかねない。

大企業の多くは株主至上主義の下で経営効率を重視するあまり、在庫を極小化するジャスト・イン・タイム(JIT)に代表されるように、経営資源をぎりぎり必要な分しか持たない「リーン(lean)型」の経営に傾斜してしまった。東日本大震災では、効率性に偏重した経営の脆弱性が露呈したとみられる。前回のコラムで紹介した通り、HOYAやルネサス エレクトロニクスのように、顧客からのリスク分散の指摘・要望を受けて、東日本大震災後にBCP強化のために拠点配置の二重化に動かざるをえないケースも出てきている。

企業は相次ぐ大規模災害を契機に、短期的な収益や効率性にとらわれがちだった視点を改め、中長期の事業継続・リスク分散のために短期的には効率が低下しても、在庫・IT資産・設備などの経営資源にある程度の余裕、いわゆる「組織スラック(slack)」を備えておく、サステナビリティ(持続可能性)重視の発想を取り入れることが望まれる。組織スラックは、中長期の企業価値創造につながると考えるべきだ。

例えば、生産拠点を分散化するには、自社の拠点で実際に生産ラインの二重化の投資を行うだけでなく、企業買収、自社の他工場でのバーチャルな代替機能の整備、企業連携、アウトソーシング(委託生産)など多様な手法が考えられ、経営の知恵や創意工夫が求められる。JIT については、サプライヤーの中小企業に余裕のない切迫した操業を迫り、体力を消耗させる面があるなら、サプライチェーンのサステナビリティを維持するためにも、その点を是正すべきだろう。

(注)大規模な災害時に、水道・ガス・電気などのライフラインが復旧するまでにおよそ72時間を要すると言われており、最新のハイスペックビルでは、72時間分の電力を確保できる非常用発電機および燃料タンクを装備するケースが多い。

まとめ③:BCP施策によってCRE戦略との関わりに濃淡

これまで見てきたように、BCPの施策メニューにおいては、施策によってCRE戦略との関わりの度合いに濃淡があると考えられる。

前回のコラムで考察した通り、工場のケースにおいては、自社の他工場にバーチャルに主力生産拠点の代替機能を持たせる施策、外部企業への委託生産を確保・拡大し、アウトソーシングを戦略的に活用する施策、さらには自社内の供給体制にとどまらず、サプライヤー、物流ベンダー、ITベンダーなどサプライチェーン全体に関わる外部ベンダーに対して、緊急時の代替機能の整備などBCPの強化を要請する施策では、新たな設備投資負担がほとんど発生せず、不動産との関わりも小さい(図表1)。

これに対して、工場建屋の耐震性能・省エネ性能の強化、自家発電機能の装備のためのスペース確保、棚卸資産積み増しに伴う保管倉庫の新増設(リスク分散に一層重点を置くならば、工場構外での新増設も想定され得る)といった工場構内での施策、さらには拠点配置の分散化に伴う適地での用地選定・調達および建屋建設といった工場構外での施策は、不動産との関わりが大きい(図表1)。このためCRE部門は、事業部門や工務部門などと連携しつつ、専門的知見に裏打ちされた不動産サービスの提案・提供を行い、経営層によるBCP施策の策定・実行にしっかりと貢献していくことが重要となる。

一方、本社オフィスのBCP強化施策メニューとしては、①耐震補強・省エネのための改修や②非常用発電機および燃料タンクの装備など現本社ビルでの施策、③老朽化した自社ビルのBCPに対応できる設備仕様を備えたオフィスビルへの建替え(現本社敷地内での建替えだけでなく、前回のコラムで説明した「最適立地の戦略」に基づいて、新規立地へ移転して建て替えるケースも想定され得る)、④老朽化した自社ビルの売却およびBCPに対応できる設備仕様・立地条件を備えた賃貸ビルへの移転、⑤バックアップオフィスの確保(所有または賃借)などが挙げられる(図表2)。

バックアップオフィス機能の確保については、企業寮を活用することも一法だ。例えば、伊藤忠商事は、首都圏4か所に分散している男子独身寮を統合し、2018年4月に一棟当たりとしては業界最大規模(約360戸)の独身寮を日吉(神奈川県横浜市港北区)に新設する予定だが、災害時のBCP対策として、東京本社のサブオフィス機能を果たすべく、社内と同様のネット環境や電気供給可能な電源設備の確保、食料・水・防災用品の常時備蓄を予定しているという。

以上のように、本社オフィスのBCP強化施策は、いずれも不動産との関わりが大きい。このためCRE部門は、人事部門、IT部門、財務部門、事業部門など社内の関連部署との連携を図りつつ、外部の不動産サービスベンダーも戦略的に活用することにより、主導的な立場に立って本社オフィスのBCP強化施策を経営トップに提案し、実施していくことが求められる。

図表1 国内の主力工場におけるBCP強化の施策メニューとCRE戦略の関わり
(資料)百嶋徹「CRE基礎講座/第3回BCPとCRE戦略~国内中核工場の場合~」日本経済新聞社『企業価値向上のための実践的CRE戦略』(日経電子版2011年9月30日)からニッセイ基礎研究所作成。
図表2 本社オフィスにおけるBCP強化の施策メニューとCRE戦略との関わり
(資料)ニッセイ基礎研究所作成

監修者

ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員

百嶋 徹

1985年野村総合研究所入社、証券アナリスト業務および財務・事業戦略提言業務に従事。野村アセットマネジメント出向を経て、1998年ニッセイ基礎研究所入社。企業経営を中心に、産業競争力、産業政策、イノベーション、CRE(企業不動産)、環境経営・CSR(企業の社会的責任)などが専門の研究テーマ。公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。1994年発表の日経金融新聞およびInstitutional Investor誌のアナリストランキングにおいて、素材産業部門で各々第1位。2006年度国土交通省CRE研究会の事務局を担当。国土交通省CRE研究会ワーキンググループ委員として『CRE戦略実践のためのガイドライン』の作成に参画、「事例編」の執筆を担当(2008~10年)。公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会(JFMA)CREマネジメント研究部会委員(2013年~)。明治大学経営学部特別招聘教授を歴任(2014~2016年度)。共著書『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』(東洋経済新報社、2006年)で第1回日本ファシリティマネジメント大賞奨励賞受賞(JFMA主催、2007年)。CRE戦略の重要性をいち早く主張し、普及啓発に努めてきた第一人者。

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