企業経営者に向けたCRE戦略概論 
第9回 BCPとCRE戦略(1)

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目次

Speaker

ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員/明治大学経営学部 特別招聘教授百嶋 徹 氏

我が国企業は、2011年3月11日に発生した東日本大震災を機に、大規模な自然災害や事故など想定外の緊急事態においても重要業務を継続または迅速に復旧させるための「BCP(事業継続計画)」の重要性を改めて痛感することとなった。その後も日本企業は、同年10月にタイ大洪水、16年4月に熊本地震など大規模災害に相次いで見舞われており、BCPの重要性はますます高まっている。今回のコラムでは、工場を例にとって、BCPの在り方をCRE戦略と関連付けて考えてみたい。次回のコラムでは、オフィスについて概略的に触れるとともに、全体のまとめを行うこととする。

工場構内における対策

企業が災害により被災した場合、災害後にまず真っ先に行うべきことは、記憶が明確なうちに、災害対応における意思決定や行動のプロセスを迅速に振り返り、問題点・課題を抽出し、それを反映してBCPの改善・見直しを図ることである。さらに打つべき具体的施策の最適解は勿論企業によって異なるが、今回のコラムでは工場を例にとって施策メニューを整理したい。ここでは、コア事業を担う国内の中核工場について、震災を想定した施策を考える。

まず最初に考えられるのが、工場構内におけるハード面の対策であり、建物の耐震性能や省エネ性能の強化、自家発電機能の新増設、機械装置の揺れを抑制する免震台の敷設などが挙げられる。

さらに、製品・仕掛品・原材料など棚卸資産を積み増す方針をとれば、その保管倉庫を新増設する必要があるかもしれない。この場合、BCPで設定している目標復旧時間(RTO:Recovery Time Objective)に相当する分の製品在庫を確保することが求められる。被災による棚卸資産損傷の回避に万全を期すならば、棚卸資産の保管場所は製造ラインが設置されている建屋以外とするとともに、保管倉庫にも耐震化を施すことが望ましい。さらに、リスク分散に一層の重点を置くならば、保管倉庫の工場構外での新増設も想定しうるだろう。

これらの既存工場におけるハード面の施策は、不動産に関わるものが多く含まれ、CRE部門が不動産の専門的知見を活かして、経営層、事業部門、工場部門などの「社内顧客」によるBCP施策の意思決定・実行をしっかりとサポートしなければならない。

代替生産機能を整備する施策

工場構内での施策は、基本的に既存の主力工場での事業継続を前提としているが、必ずしもそれを前提とせず、むしろリスク分散を重視して主力拠点の代替機能(バックアップ)を整備する施策、すなわち生産拠点の分散化について次に考えてみたい。

拠点分散化の施策オプションとして、主力工場と同様の機能を持つ拠点を実際にデュアル(二重)に国内または海外に構築・配置するほかに、自社の他工場にバーチャルに主力拠点の代替機能を持たせ、緊急時にそれを速やかに稼働させるための訓練を重ねるという、いわばソフト面の施策も考えられる。この場合、原材料の手配や生産ラインの調整など緊急時の代替生産の手順をBCPで定めた上で、訓練の繰り返しにより、従業員間で緊急時の迅速な対応への意識付けを徹底することが重要となる。

この手法は、不動産の取得を含む設備投資を新たに行い、リアルに拠点配置の二重化を図るのに比べ、コスト負担が極めて少ないというメリットがある一方、性質の全く異なる製品を生産する製造ライン間で代替生産機能を持たせることは難しく、主力工場の製品とある程度同種の製品を生産するラインを予め異なる拠点に保有していることが前提となる。

例えば、車種の異なる自動車組立ライン間やデスクトップパソコン(PC)とノートPCの生産ライン間では、比較的容易に代替機能を持たせることができるとみられるが、クリーンルーム環境下で化学反応を精密制御する工程を伴う半導体や液晶パネルの生産ラインとPCの組立ラインの間では、同じエレクトロニクス製品と言えども代替機能を持たすことは不可能だろう。

さらに拠点分散化を広義にとらえるならば、自社グループ内にとどまらず、外部企業への委託生産を確保・拡大し、アウトソーシングを戦略的に活用することも施策オプションの一つとなる。この場合、設備投資負担が要らない一方、自社生産に比べ収益性が低下するデメリットがある。

サプライチェーン全体での対策

これまで述べてきた施策メニューは自社の供給体制の事業継続性に力点を置いたものだが、さらに自社が属するサプライチェーン全体の継続性確保に配慮した施策も必要となる。

例えば、川上に位置するサプライヤー、調達から販売までの物流を担う物流ベンダー、さらにはサプライチェーンマネジメント(SCM)のITソリューションを提供するITベンダーに対して、緊急時の代替機能の整備などBCPの強化を要請することが挙げられる。

複数条件を総合評価する立地最適化が重要

一方、合理的な企業による工場の立地選択では、内外の立地候補地について複数の条件を総合評価し、グローバルな視点から立地最適化が追求されると考えられる。これを筆者は「最適立地の戦略」と呼んでいる。

比較検討すべき主要な立地条件として、①産業集積度(サプライヤーの集積や電力・工業用水・交通などインフラの整備状況)、②自社の既存事業所との近接性、③良質な労働力、④顧客(市場)との近接性、⑤土地利用の自由度、⑥税制優遇や補助金など立地に関わる国・自治体の政策、⑦知財保護の確実性、⑧為替・賃金、などが挙げられる。

震災後には、事業継続性が重要な条件の1つとして加わったと考えられるものの、工場立地は必ずしもその要因だけでは決められず、やはり基本的には複数の立地条件を総合評価して意思決定されるとみられ、企業によって最適解は異なってくる。

リスク分散や事業継続性のみを重視すれば、拠点配置の分散・二重化が最適解となるが、そのためには相対的に大きな設備投資が必要となり、さらに1か所で集中生産することによる規模の経済性や技術のブラックボックス化のメリットを失いかねない。企業が最適立地の戦略の中で社内拠点間の近接性を重視するのは、人的資源や技術を一定の距離的範囲内に集中するためだ。

このため、拠点配置の二重化は、顧客からの強い要請がない限り、または高成長製品でない限り、実施されることは考えにくい。高成長製品であれば、新規立地での増産投資として拠点の分散化を図りやすく、それによって稼働率が低下することもない。

事例①:顧客からの要請を受けた拠点分散化

顧客からの呼びかけや要請により、海外に生産拠点を分散化した事例として、HOYAが挙げられる。同社は、東日本大震災直後の2011年7月に、当時世界シェアが約85%に達していた半導体製造用マスクブランクス(注1)の新工場をシンガポールに建設すると迅速に発表し、新工場は翌年9月に早くも稼働を開始した。それまでは山梨県の長坂事業所(北杜市長坂町)で集中生産していたが、震災を受けてBCP強化を考慮し、拠点の分散化を行う方針へ迅速に転じた。

同社最高経営責任者(CEO)の鈴木洋氏は、この発表の直前にマスコミのインタビューに対して、「マスクブランクスなど日本の1か所だけで生産しているキーパーツ(重要部品)は、顧客からリスクが高いと震災前から指摘されていた」「以前は(拠点分散化は)技術を分散するデメリットが大きいと考えていたが、顧客の不安を考えると自分の都合を優先できなくなった。コスト増は覚悟している」(注2)と語っていた。

同社は、全社ベースの海外生産比率が当時50%前後に達し、積極的な海外展開を行う一方、マスクブランクスについては日本での一極集中生産を堅持してきたのは、同製品が独自の技術やノウハウが詰まったものだからだろう。シンガポール立地を選択した背景として、税制などの積極的な企業誘致優遇策に加え、知的財産保護を重視する国の取組が重要であったとみられる。

大手半導体メーカーのルネサス エレクトロニクスは、東日本大震災の際、主力の那珂工場(茨城県ひたちなか市)が被災し甚大な被害を受けた。同社は自動車のエンジン制御などを担う基幹部品である車載マイコンでは、当時世界シェア44%を握る最大手であったため、同工場の生産停止は一時自動車産業のサプライチェーン寸断の大きな原因の一つとなった。従業員が一丸となって復旧に取り組んだことに加え、プラント、ゼネコン、製造装置、電機、自動車など外部企業からも1日最大2,500人が復旧支援に駆け付けたことから、復旧作業は急ピッチで進み、2011年4月にテストラン、同6月には当初計画から3か月前倒しして量産再開にこぎ着けることができた。

同社は、東日本大震災の体験に基づき全部門でBCPの総点検を行い、同8月には全社の事業方針の中でBCPの強化策を打ち出した(注3)。内容は、本稿で述べてきた施策メニューの大半を取り入れたものとなっている。まず東日本大震災による被災のダメージが大きく復旧に時間がかかったポイントを洗い出し、そこを重点的に改善するとともに、工場の耐震性能を従来の震度6弱から東日本大震災と同レベルの6強に強化することとした。生産体制については、顧客が2か所以上の量産工場を準備する「マルチファブ化」(注4)を要望していることに対応し、自社の国内工場と海外の受託製造企業(ファウンドリー)を活用した代替生産ネットワークを拡充し、マルチファブ戦略を加速することとした(注5)。在庫保有情報や代替品選別のための情報などを顧客に開示し共有することで、「リスクコミュニケーション」も強化していくこととした。さらに顧客の生産ラインを止めないことを目標に、部材調達から仕掛品や完成品の在庫コントロールを行うことで、より一層のSCM強化を図ることとした。

事例②:バーチャルな代替生産機能の整備

一方、生産拠点を実際に二重に配置するのではなく、他工場にバーチャルに代替機能を持たせている事例として、富士通のPC事業が挙げられる。

東日本大震災の際、福島県伊達市のデスクトップPCの拠点(富士通アイソテック)が被災し、島根県出雲市のノートPCの拠点(島根富士通)がデスクトップPCの代替生産を行い、準備されていたバーチャルな体制がリアルに切り替わった。「被災した福島県のデスクトップPC生産ラインをわずか10日間で島根県の工場に移管した。通常2週間以上かかる新ラインの立ち上げを3割以上短縮できた計算だ。準備してあったBCPの成果ともいえる」(注6)。

(注1)半導体の製造工程の心臓部に当たる、回路パターンをシリコンウエハーに転写するリソグラフィ(露光)工程において使用されるパターンの原版をフォトマスク、その基板をマスクブランクスと呼ぶ。

(注2)日本経済新聞2011年6月8日朝刊「トップに聞く収益見通し/HOYA最高経営責任者 鈴木洋氏」より引用。

(注3)施策の内容は、ルネサス エレクトロニクスHP「事業方針(2011年8月2日)」より引用。

(注4)半導体産業では、製造工場をファブ(Fab)と呼ぶことが多い。

(注5)例えば、主力のマイコンについては、拡充するファブネットワークに組み込む自社の国内拠点として、当初は5工場6ラインを予定していたが、その後収益改善に向けた生産構造改革を実施した結果、現状では那珂工場(200ミリ及び300ミリウエハー対応の各々製造ライン)、川尻工場(200ミリライン)、西条工場(200ミリライン)の3工場4ラインを自社の国内主力拠点として生産継続している(鶴岡工場(300ミリライン)および滋賀工場の一部(200ミリライン)は他社に譲渡した)。

(注6)日本経済新聞電子版2011年6月3日「メードバイJAPAN/富士通が生産移管で学んだ「ムダ」と「ムラ」」より引用。震災2日後の2011年3月13日に生産移管を決定、同23日に移管作業を終え、福島の工場が復旧した後の4月18日、再びラインを戻したという。

中小企業でのBCP策定促進、大企業を含めBCPの内容向上が課題

BCPの重要性がますます高まっている中、我が国の製造業におけるBCPの策定状況を、経済産業省が実施したアンケート調査(注7)から見ると、「BCPを策定し、必要な対策をとっている」とする企業は全体(4,580社)の5.9%にとどまり、「BCPを策定し、一応の対策はとっているが不安要素が大きい」とする企業が23.4%、「BCPを策定していないが、現在検討中である」とする企業が35.4%を占めている。BCPを策定済み、または策定を検討中とする企業が64.7%を占める一方で、「BCPを策定しておらず、特に検討もしていない」とする企業が35.3%もある。

企業規模別に見ると、大企業(214社)では、「BCPを策定し、必要な対策をとっている」が28.5%を占める一方、「BCPを策定しておらず、特に検討もしていない」は2.8%に過ぎない。これに対して、中小企業(4,358社)では、「BCPを策定し、必要な対策をとっている」が4.7%にとどまる一方、「BCPを策定しておらず、特に検討もしていない」が36.9%もある。このことから、中小企業にBCP策定を促すことが喫緊の課題と言える。また、大企業でも、47.7%が「BCPを策定し、一応の対策はとっているが不安要素が大きい」としていることから、BCPの策定のみにとどまらず、日頃からの改善・見直しや訓練の繰り返し、さらには企業間連携の構築などにより、実効力のあるBCPにブラッシュアップしていく不断の努力が必要であると思われる。

2016年4月に発生した熊本地震の影響に対し、策定したBCP対策が有効に機能したかについては、大企業(75社)では、「機能した」が22.7%、「ある程度機能した」が58.7%を占め、「ある程度以上機能した」とする企業が81.4%に上っているのに対して、中小企業で(421社)では、「機能した」が4.8%、「ある程度機能した」が20.9%と、「ある程度以上機能した」とする企業が25.7%にとどまっている。経済産業省「2017年版ものづくり白書」では、「今後、中小企業において BCP の策定を進めるとともに、その策定した内容を向上させることが課題だ」と指摘されている。

前出のルネサス エレクトロニクスでは、熊本地震により、前工程を担う製造子会社の川尻工場(熊本市南区)と後工程の生産委託先数社が被災した(注8)。同社は前述の通り、東日本大震災後にBCP強化策の一環として、工場の耐震性能を震度6強への対応まで強化していたため、熊本地震で被災した川尻工場の建屋やクリーンルームに大きな損傷はなかった。加熱工程の炉に使う石英治具の破損があったものの、那珂工場が東日本大震災で被災した際に、多くの石英治具の破損・喪失が復旧を阻む重大なネック(クリティカルパス)となったとの教訓を活かし、石英治具の備蓄体制を強化していたため、破損した治具の90%はこの予備への取り換えにより対応できたという(注9)。被災した後工程の生産委託先については、同社からの復旧支援を急いだ。これらのBCP対策が奏功し、川尻工場は2016年4月22日には一部生産を再開し、その1か月後に震災前の生産能力に復帰させることができた。このように同社は、BCPのブラッシュアップにより、緊急時対応能力の向上を図っている先進事例と言えよう。

(注7)我が国の製造業を対象に2016年12月に実施されたアンケート調査であり、主要な調査結果は経済産業省「2017年版ものづくり白書」に掲載されている。

(注8)前工程の製造子会社は、ルネサス セミコンダクタマニュファクチュアリングといい、川尻工場では車載マイコンが生産されている。半導体の製造工程は、シリコンウエハーに集積回路を作り込む「前工程」と組立・検査を行う「後工程」に分かれる。

(注9)2016年5月13日付けEE Times Japanによれば、「90%は予備への取り換え、残り8%も他工場から持ち込み分で済み、(調達まで時間を要する)新規購入が必要な部分は2%だけだった」という。

監修者

ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員

百嶋 徹

1985年野村総合研究所入社、証券アナリスト業務および財務・事業戦略提言業務に従事。野村アセットマネジメント出向を経て、1998年ニッセイ基礎研究所入社。企業経営を中心に、産業競争力、産業政策、イノベーション、CRE(企業不動産)、環境経営・CSR(企業の社会的責任)などが専門の研究テーマ。公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。1994年発表の日経金融新聞およびInstitutional Investor誌のアナリストランキングにおいて、素材産業部門で各々第1位。2006年度国土交通省CRE研究会の事務局を担当。国土交通省CRE研究会ワーキンググループ委員として『CRE戦略実践のためのガイドライン』の作成に参画、「事例編」の執筆を担当(2008~10年)。公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会(JFMA)CREマネジメント研究部会委員(2013年~)。明治大学経営学部特別招聘教授を歴任(2014~2016年度)。共著書『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』(東洋経済新報社、2006年)で第1回日本ファシリティマネジメント大賞奨励賞受賞(JFMA主催、2007年)。CRE戦略の重要性をいち早く主張し、普及啓発に努めてきた第一人者。

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